RIP Steve Jobs / npbn
#RyoAnnaBlogを読まなくなったのはいつ頃からだろうか。かつてあれほど憧れ、こうなれたらと夢想し、朝起きたらトイレへ入るより先にチェックしていたほどのブログなのに。
人生に紆余曲折があって、僕自身がしばらく人のブログをほとんど読まなくなってしまったこともあるのだが、#RyoAnnaBlogからAppleの気配が消えてしまったことも大きいのかもしれない。
私を含め、当初はよくiPhoneの記事を書いていたブロガーも、今はあまり書いていない。自覚しているにせよ無自覚にせよ、やはりターニングポイントになったのはジョブズの死だろう。製品の向こうにいた大きな存在を失い、無条件で愛を注ぐことができなくなったのだ。
そういえば僕も、いつのまにかあまりiPhoneの記事を書かなくなってしまった。そして自分でも信じられないことに、iPhone 6は購入していない。特別な理由があったわけではないが、なんとなく、いいやと思ってしまったのだ。
iPhoneは僕の人生を変えた。多くの人々の人生を変えた。Ryoさんも同じだ。
そして10年後、2008年夏。村上春樹の書斎写真と同じぐらい衝撃的なものに出会う。iPhoneだ。
iPhoneは私の人生を変えた。家族と仕事との往復だけだった生活に、情熱をもたらしてくれた。膨大なアプリには、無限の可能性があった。実用アプリで日々の生活が快適になり、ゲームアプリが隙間を埋めた。そしてTwitterとブログを始めた。iPhoneは出会いと、表現の場を与えてくれた。
ジョブズ亡き後のAppleの衰退は、声高に語られなくとも世界中がうすうす、けれど確実に認識していたことだ。
だがそれでも、僕らは同じことを繰り返すだけの退屈な日常の中で、iPhoneに夢を見る。今度こそまた、僕らをあっと言わせてくれるんじゃないかと。
「すべてのiPhoneユーザーに見て欲しい映像」 – #RyoAnnaBlog
で紹介されていたこの映像で、この世に初めてiPhoneが登場した(3分02秒)。今見ても鳥肌が立つ、世界が変わった瞬間。無条件で愛を注げる存在。けれどもうジョブズはいない。iPhoneはポケットからはみ出て、ちょっとひねれば曲がってしまう。
だが同時に、iPhoneは次のステージに入ったのだと自分に言い聞かせる。スマートフォンが世界中に浸透して、iPhoneが珍しくなくなったこれからの時代に、ジョブズがもたらした革新性や感動を期待するのはやめようと。どこかで見たようなデザインと突き出たカメラを苦笑しながらも受け入れて、これからもiPhoneの記事を書こう。よほどのことがないかぎり、僕はiPhoneを使いつづけよう。僕自身も次のステージへ行こう。
妥協と言われればそれまでだが、そういうところをひっくるめて、僕はiPhoneを愛しつづけたい。犯罪者の親が子を愛しつづけるように。五代くんが惣一郎さんをひっくるめて響子さんを愛したように。
そしてひそかに、#RyoAnnaBlogにiPhoneの記事が戻ってくるのを祈っている。