ブログに書いて「アウトプット」したらそれでいいの? | 明日やります


ブロガー仲間の組長こと「おだいじくん」が、ブログのインプットとアウトプットについて書いていた。

素晴らしい本を読んだり、革新的なライフスタイルを学んだり、とてつもなく珍しい体験をしたり、涙が出るほど嬉しいことがあったりしても、それをただ単にブログに書くことがアウトプットだと思いこんでしまうと、いろいろともったいないよね、っていう話。

学んだことや得たものを、自らの血肉に変えてこそインプットの意味がある。

あの日僕らは(Blogger Boot Camp #0で)そんな話をしたわけなんだけど、あれから何日か経って(まだ一ヶ月も経っていないのか!)、あらためて組長の話を読んで、あらためてなるほどな、と感心というか、腑に落ちるところがあった。

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最近の僕は、記事執筆のスピードが上がった代わりに、そのままのうんこばっかり書いていたような気がする。

ドコソコへ行った、ナニナニを買った、アレコレを知った、という、ただ経験したことそのまんまの記事が、いつもより多くなっていたのだ。

組長も言っているように、ブログには何でも書いていいんだし、そういう情報だって誰かの役に立てばいいのだし、簡単に書けるから記事数は伸びやすいのだけれど、すくなくとも僕の「CLOCK LIFE*」の場合、主としてそういうものが求められているのではないということは、これまでの記事ごとのアクセスを見ればわかる。

作家・花村萬月は「小説を書くときは、己を徹底的に虚構の裏に隠せ」というようなことを言っている。

どれだけ自分のことを書くまいとしても、結果として自分自身が出てしまうのだ、という話なんだけど、ブログにも同じことが言えるのかもしれない。

僕は、僕は、僕は、と、自分の個人的な主義主張ばかりでは人の役に立つ情報として成り立たないけれど、だからといってまったく無味無臭の経験や結果ばかりの情報じゃあ、読む価値がない、とまでは言わないけれど、大手メディアにまかせておけばいいわけで、個人の情報発信基地としてのブログである意味はないよね。

インターネットの世界では、キュレーションとかまとめとかが流行っているけど、そういう情報の収集や再構築という新しい文化の先陣に、ブロガーは立っていたいものだ、などと生意気なことを思ってしまう。

いずれにせよ、僕はこれからも毎日うんこをしつづける。

やたらと臭いことがあるかもしれないけれど、匂わないよりはいいのかもしれない、とか思って、勝手に書かせてもらう。

2014年4月21日。午後7時43分。書斎にて。春雨の音を聞きながら。自慢じゃないけど、僕は匂いで家族のうんこを嗅ぎわけることができるよ。ごめんなさい。

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