先日、「誕生日が近いので皆さんプレゼントをくださいな」という記事を書いたら、すんげーたくさんのプレゼントをいただきました!
お会いしたことのない人も含めて、こんなにたくさんの人から素敵な贈り物をいただくのは初めてで、もううれしくってありがたくって、ウヒョヒョヒョヒョーイ!って、とっても興奮していたんだけど、ある人にこんなことを言われたんです。
贈り物に込められた想いは、みんな違う。
「そのたくさんのプレゼントに込められている想いは、みんなそれぞれ違うんだよね」
プレゼントに込められた想い?はて……?
「その中には、りゅうさんが好きでキャンプツーリングの応援をしている人もいるだろうし、りゅうさんやブログのファンの人もいるし、純粋にお誕生日を祝ってくれている人もいるはず。りゅうさんにとっては同じプレゼントでも、みんなが贈ってくれる理由はそれぞれ違うはず」
なるほどたしかに!
他にも、最近いろんな「在り方」のお話をした方たちからの贈り物には、何かしらの感謝が込められているかもしれない。
「誕生日+Amazon欲しいものリスト」というきっかけがあったから、たくさんの人が贈ってくれたんだろうけど、その行動の奥にある「想い」は、人それぞれ違うんだよなあ。
と、思ったら、
もう、いきなり、ぶわーーーーーーっと胸が熱くなってきたんですね!
贈り物がくれた、さらなる贈り物
▲ 自転車が届いたときは、マジでビビった!
胸だけじゃなくて、鼻のまわりとか目頭とかが熱々になって、今にも涙がこぼれそう!最近の僕は本当によく泣いてる!
今までは、Amazonの段ボールが届く度に、ウヒョヒョヒョヒョーイ!って喜びに包まれていたけど、贈ってくれた人の「想い」を想像した途端、今まで味わったことのないあたたかい気持ちが、泉に湧く水のようにこんこんと溢れてきたんです!
それはね、僕が生まれてはじめて感じる、本物の「感謝」でした。
「うれしい」よりもっともっと幸せな、「ありがたい」という気持ち。
しようと思って意図的にする「感謝」じゃなくて、心の奥の方から勝手に溢れてくる「感謝」。
僕は気づいたら、今までいただいたプレゼントと、その贈り主を、ぜんぶもう一度確認してました。
そしたらもう、うれしくってうれしくって!
生きてるって、こんなにうれしいことなんだって!
辛いこともあったけど、こんな気持ちになれるんだったら、もっともっと、ずっとずっと生きていたいって!
これだけたくさんのプレゼントをもらっただけでもうれしいのに、こんな素晴らしい、あったかい気持ちまでもらっちゃって、もうどうしよう!
それくらいのハッピーをいただいちゃったんです!
プレゼントって、いただいたそのモノより、「贈っていただいた」という行為に対する「喜び」「感謝」こそが、本物のプレゼントなんだって、やっと気づくことができた。
ちなみに以前から感じてたんだけど、「ありがとう」に「ございます」を付けた途端、感謝の気持ちが薄まるような気がしません?礼儀とか格式みたいなものに邪魔されて。
だからあえて、目上の人もみーんな含めて、あらためて、
ありがとう!ありがとう!ありがとう!
この気持ちを増幅して、たくさんたくさんペイフォワードしたい!
人はいつだって変われるんだって、ただここにいるだけで自分は素晴らしいんだって、生きてるだけで丸もうけなんだって、気がつかせてくれて、みんな、本当に、ありがとう。
だからもし、そう思えなくて、毎日が息苦しくて、肩がバキバキで、朝起きるのが辛くて、体と心がいつも重い人、明日なんてこなけりゃいいと思っている人がいたら、一緒に楽になりませんか?
誕生日は7月26日ですので、まだ間に合います(笑)。
▶連絡先:りゅう