今年ガンで亡くなった川島なお美さんの写真をテレビで見て、目が釘付けになっちゃった。

ボクらの年代って、なんか川島なお美さんと一緒に成長してきたっていうか、気づいたらずっと隣にいたみたいな親近感ないですか?

お笑い漫画道場のキレイなおねえさんだったのが、ちゃんとした女優さんになっちゃって、血液がワインになっちゃって、ワンちゃんとセレブな暮らしして、世界的パティシエと結婚してって、なんかこう、激動の人生を、いつも眺めることなく眺めていたというか、ちょっと心配したり、ときにはバカにしたりしながらも、いつも視界の中で気になっていた人、みたいな感じなんですボクには。

晩年は心屋仁之助さんと親交があったみたいで、心屋さんも「彼女らしいカッコイイ最期だった」と言ってるんだけど、どうしてもボクには、「心をがんじがらめに縛られて苦しみながら亡くなった人」みたいなイメージが残っちゃってた。

でもある写真を見て、なんかすっと理解できた気がしたの。

もう末期だからガリガリに痩せてて、着物とか露出の少ない服を着ればいいのに、あえて露出の多い女優然としたドレスで会見に臨むそのキリッとした横顔。ああ、ホントカッコいいわ、と。大切なモノは目に見えないね星の王子さま、と。

スティーブ・ジョブズもそうだったよね。

ガンが発覚すると、もうどんな薬を使ってでも助けてくれ!死にたくない!って大騒ぎする人と、副作用で髪が抜けたり、無様な姿をさらすくらいならとっとと死ぬ、という人がいるでしょ。それが運命だと受け入れる。

ふだん人の生き死にを扱う有名な禅のお坊さんですら、余命を告げられたら「やだー死にたくないー!」って暴れたっていう話があるけど、もちろんボクも大騒ぎするだろうね。騒いで騒いで家族や友人に迷惑かけまくって、まあまあ延命して、それなりに生きて、死んでいく気がする。

でも川島なお美さんとかジョブズはそうじゃない。

「女優として、死にたい」だったんだよね。「無様でも、生きたい」は耐えられなかった。

ボクなんかおせっかいだから、そこをもっと緩んで、心を楽にしたらもっと生きられたのに、なんて思っちゃってたんだけど、そんなもん、余計なお世話ですよ。人がどうこう言うことじゃない。

川島なお美さんは早かったけど、彼女の願い通り生きたんだ。

「女優として死にたい」と願ったから、女優としての寿命を全うした。

彼女は生きたいように生きて、死にたいように死んだ。超カッコいいし、超自由で、無限だ。

逆に北斗晶さんみたいに、ガンとの闘病を発表して、懸命に生きようと足掻く人もいる。それもまたよし。すべてよし。ボクらは自由だ。

ずっと年上だしお会いしたこともないけど、敬愛を込めてちゃん付けで言わせてね。

なお美ちゃんありがとうね。自由を見せてくれてありがとうね。

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