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僕の家内はよくできた女です。

料理が上手で、ひかえめで、旦那を立て、よく笑い、いつも僕の三歩後ろを歩くような古き良き日本の女です。

僕はそんな彼女を愛し、彼女はこんなどうしようもない僕についてきてくれます。

でもこれって、幻想かもしれない。

女が強い時代だと言うけれど、本当かな?

黙って男の後ろを歩くひかえめな女が幸せだった時代もあったかもしれないけれど、今はそうじゃない。

男女平等とかフェミニズムの話じゃなくて、ただ単純に、男も女もお互いに持ちつ持たれつ、よりかかりあいながら生きているのだから、男だけが威張っているのはおかしいでしょうって、みんなが理解しはじめている。

最近は男より女のほうが強いと言うけれど、僕らの年代の日本人女性たちはいまだに、心の底に「つくす女性」の美徳を隠し持っている人が少なくないんじゃないでしょうか。

そういう人たちは、連綿と続いた日本の美徳教育のせいで、自己肯定感が低い傾向にあります。

「私(女)なんてどうせ……」という自己否定を植えつけられた女性は、男性のためにつくすことで「自分の価値」を見出そうとします。

ダメンズウォーカーとかダメンズメーカーとか言われる人たちもそう。

ひかえめな女性がみんなそういう自己否定を抱えているとは言わないけれど、相談に来る方たちや悩んでいる女性たちとお話ししていると、根っこにはそういう無意識の「影」が見え隠れします。

言葉だけでは伝わらない僕の気持ち

僕はいつも

「いやいや、あなたはすでに素晴らしいんだよ」

「何もしなくたってあなたには価値があるんだよ」

と言うけれど、そんな言葉は彼女たちの心の分厚い膜を破ることはなく、ふわふわと宙を漂ってしまいます。

家内にもいつも「愛してるよ」「いつもありがとう」「がんばらなくていいんだよ」と声をかけます。そのへんの恥ずかしいセリフは臆面もなく言えるタイプなので(笑)。

けれどやっぱり毎日のように放たれるそれらの言葉は日常に堕落し、月並みに錆びて、気のない挨拶のようになってしまってる気がします。

僕は口先だけの胸くその悪い阿呆だった

先日、家内と道を歩いているときに唐突に気づいたのです。

僕はいつも家内に「好きなように生きてね」と言うくせに、実際のところは、自分ばかりが好きなことをして、家内にはあいかわらず「古き良きひかえめな日本の女性」を求め、演じさせていたのです。

口ではいいことを言っていても、態度では「そのまんまのおまえには価値がない」と言っているようなものです。

これはなかなかこたえました。我ながら胸くその悪い本物の阿呆だなあと歯ぎしりをしました。

心のことはだいぶ開けて見えてきたと思っていたのに、人の意識と無意識はかくも簡単に剥離してしまうのかと、しばし反省しました。

 家内にレディーファーストを

そこで単純な僕は「家内にレディーファーストをしよう」と考えました。

めんどくさいことは全部自分がやろうとし、ドアを開けたら僕を先に行かせ、自分の時間を僕や家族に捧げようとする家内に、それらをやめてもらう。

僕が先にドアを開け、風呂上がりにはタオルを差し出して、肩を揉んであげる。

僕が今までやってもらっていたことを、やろう。

態度で「あなたは存在しているだけで大切な人なんだよ」と伝えよう。

それは欧米の慣習を模倣したレディーファーストではなくて、ひかえめな日本人女性に愛を伝えるための行動です。

そもそもレディーファーストというのは、男が身を守るために女を先に行かせたのが始まりだという説もあるんですね。

逆に、日本人女性が三歩後ろを歩くのは、お侍さんが女を守るためだったとか。

三歩後ろを歩く大切な女性に、人生の楽しさをもっともっと知ってもらうために、レディーファーストからはじめてみることにします。

▶ そうだ、竜さんに話してみよう

「カバンが重くなるからお弁当いらない」と言ってしまったことを私は死ぬまで忘れないだろう。 – 茅ヶ崎の竜さん