胤栄「やらかくなるほど深まるもの、なーんだ?」
石舟斎「自信?」
余計な力が抜けたとき、人はいちばん強い
武蔵は一人で吉岡一門七十人と戦うんだけどね、途中でもう疲れ切っちゃってふらふらになってから、さらに剣の威力が増して、それまでより強くなるのよ。
全身から余計な力が抜けて、ぬたあんぬたあんってどんどん敵を斬っていく。
ふつう剣で斬るってズバッ!とかそういう擬音でしょ。
でも力が抜けてるから、ぬたあん、ぬたあんって。
そしてそういう力が抜けてるときが、人はいちばん強い。
自信があれば力が抜け、力が入ると気負いになる
石舟斎は言う。
「やらかくなるのは自信。固くなるのは気負い」
スポーツでも仕事でも何でもそうだけど、自信がある人は力が抜けてるよね。
自分を信じられているんだから、気張ってがんばる必要ないもんね。
力を抜いて、そのまんまの自分を出せばいいってわかってるから。
逆に、目的のために力んでしまうと、心身が固くなって持っている能力を発揮できなくなる。
僕もね、ブログとかメディアの記事とか書いているとき、力むとダメになるからわかるの。
「カッコいいこと書こう」とか「人をうならせるような文章を書こう」とか力が入ると、うまくいかないし、何より自分が楽しくないのね。
もう自分が感じたことをそのまんま、もちろんわかりやすく表現する努力とかはするけど、そのまんまの自分を表したとき、やっぱり人の心に響くよね。
自分を信じるって、空気を信じるってこと
石舟斎「自分を信じると書いて自信だが、もっともっと、自分をとりまく空気までを信じられるような」
「自分を信じる」というと「オレならできる」「オレはスゴイんだ」という自分だけを信じる方向に解釈されがちだけど、そうじゃないんだよね。
「自分をとりまく空気までを信じられるような」というのはつまるところ、自分以外のすべて、味方も敵も、空も風も犬も猫も、すべてを信じられるということ。
つまり
「自分を信じる」=「世界を信じる」=「ぜーんぶ大丈夫」
っていう悟り。
スピリチュアルの人はこれを「宇宙」と呼称するから、アヤシイ響きに聞こえたりもするんだけど。
自分だけを信じると、なにか失敗があったりうまくいかなかったときに、すぐ信じられなくなっちゃう。そんで凹むし、悩む。
オレはやっぱダメなんじゃないかって。
そうじゃないよ。
そもそもオレら人間一人一人なんてたいしたもんじゃない。
たいしたもんじゃないから、世界の力を借りて、幸せになるんだもの。
力んで、ゆるんで
ちなみに、ぬたあんと強かった武蔵も、終わりが見えて生きのびられると思った途端、また力んでしまって、無様な剣を振るってしまう。
幽霊のじいさんたちも
「おや、先を見てもうた」
「あのやらかい空気はどこへやら」
「正視に堪えぬのう」
とあきれ顔(笑)。
そうやって「力んで、ゆるんで」を繰り返して、みんな世界を信じて、大丈夫だってわかっていくのでしょうね。
胤栄だって石舟斎だって、若い頃は天下無双!っつって力んでたんだから。
ぬたあんぬたあんと生きていきたいもんです。