「私が落ちこんでるときも、いつもあなたが笑っていてくれてよかった」

と、家内に言われたことがある。彼女の状態がまだ良くなくて入退院を繰り返していた頃、僕はずいぶん悩んだものだ。

抑鬱と無気力に支配され、笑顔を見せないどころかほとんど無表情の家内を目の前にして、僕だけ笑ったりはしゃいでしまったら、彼女がかわいそうな気がしたのだ。一緒になって泣いてあげる、隣で同じ痛みを感じてあげることが、愛情なんじゃないかと思って。

でもいろいろ考えた結果、僕はいつも通り、もしくはいつも以上に笑うようにした。子どもたちとたくさん笑って、はしゃいで、家内のまわりを明るく照らそうと決めた。


僕が好きなブロガー・ファーレンハイトさんが、こんなことを書いていた。

負のエネルギーって感染するんですよね。家族が体調を崩したりすると、なんとなく家の空気が暗くなったりするじゃないですか。
でも俺は思うんですよ。そういうときこそ元気な方が<今までと変わらない姿>を見せること、今までと同じエネルギーを出し続けることが支えになるんじゃないかって。

引用元: 異性を惹きつける方法、恋人が落ち込んでいるときに|AM「アム」

家内が辛かったとき、僕や子どもたちが笑っていたことが、ずいぶん救いになったのだという。

そして今、今度は僕自身がエネルギーを失って無気力に支配されると、彼女が言うことがよくわかる。

とくに我が家の次女(六歳)は、パパの空気なんてちっとも読まずに、いつも元気に家の外や中を走り回っては、おかし食べたいー!抱っこしてー!アイス食べたいー!iPadで遊びたいー!プール行きたいー!今日ヘビがいたよー!と叫んでくれます。

本当に気持ちが落ちているときは、正直子どもの叫び声というのはかなりキツイものだけど、それでもなお、彼女の存在と明るさ、そのエネルギーは僕の支えとなって、暗い僕を照らしてくれるんです。

自分のせいで、家族やまわりの人たちが暗くなってしまうのはつらすぎるし、まわりに元気な人たちがいると、やっぱりすこしずつだけど、エネルギーがこっちにも伝わってくるんだよね。

ドラゴンボールに出てくる元気玉ってあるじゃない?ああいう「気」っていうのは、目に見えないけどたしかにあるんだなあ、って最近実感しています。

遠くて会えない人でも、ブログやSNSやメールを通じて、僕はたくさんの「元気玉」をもらって、今日も生かされているんだなあとあらためて思いました。

せっかくブログを書いているんだから、こういう経験を活かして、いつか大きくて優しい元気玉を、たくさんの人々に届けられたらいいなと思ってます。それが恩返しであり、ペイ・フォワードになると思うから。ありがとうございます。