何食わぬ顔をして生きているようでも、こころのずっと奥で、何かにがんじがらめに縛られて苦しんでいる人々。それは、僕やあなたのことです。
一見どこにでもいるふつうの高校生
五人の高校生。
一人の少年は不登校児で、いつも家に引きこもってゲームばかりやって悶々としています。
一人の少女は、派手めな友人たちと一見うまく溶けこんで、楽しくやっています。
一人の少年は有数の進学校に通い、容姿もすぐれたエリート。
一人の少女も同じ進学校でマジメに勉強して、順風満帆に見えます。
一人の少年は、バイトをしては世界中を放浪し、自由で素敵な人生を歩んでいます。
不登校の主人公を除いて、全員が、一見ごく「ふつう」の人生を歩んでいるように見えます。
けれど彼らの時間は、幼い頃仲間の一人だった少女が亡くなってしまったあの日から、止まってしまっているのです。
消えない罪悪感を背負って。
彼らはみんな、少女が亡くなったのは自分のせいだ、という幼い頃の「罪悪感」を抱いて生きています。
たしかに彼らにもすこしの非はあったかもしれない。
でもそれは、幼い子どもたちにはどうしようもできない類いの非であるし、もう過ぎ去ったはずのあやまち。
高校生になった彼らにも、理屈ではわかっているんです。
自分だけのせいじゃない。
もう終わったこと。
いつまでも悔やんでいてもしょうがない。
でも、頭でわかっていたって、こころは縛られたまんま。
誰かに「あなたは悪くないよ」と言われたって、「はいそうですか」とは、ならない。
大人になっても縛られたまんま。
僕らのこころにも、それと同じ「縛り」が残っていることがあります。
僕は、いらない子どもなんだ。
いつもお母さんが泣いていたのは、私のせいだ。
僕は好きなことをやってはいけないんだ。
人に嫌われたら生きている資格がない。
でもみんな、自分がそんなものに縛られているとは思っていないんですね。
そういう人もいるだろうけど、「自分に限ってそれはない」って、なぜかみんな確信に近いほど信じてる。まあ僕もそうでした。
でももし今のあなたが、人生に何か息苦しさを感じているとしたら、それは子どもの頃から、こころが縛られたままだからかもしれません。
僕たちはまだ知らない。
「あの花」では、亡くなった少女・めんまの霊が姿を表してくれたので、みんなが徐々に自分の「本当の気持ち」に気がつくことができました。
「僕は苦しいんだよ!」ってことを認めて、たくさん涙を流して、縛りをほどくことができた。
でも、現実の僕らの元に、少女は出てきません。本当はこころのずっと奥にいるんですよ、幼い自分自身が、あの頃のまんま、罪悪感に縛られて、後ろを向いてしゃがみ込んでいる。
作中に出てくる青い花弁の「忘れな草」の花言葉は、「私を忘れないで」です。
もし人生に息苦しさや辛さ、漠然とした不安があるのなら、自分の中にいる幼い自分を探してみるのもいいかもしれません。その子は「私を忘れないで」って言ってませんか?
僕らは大人になったけど、こころの中には、まだあの日の想いが残っているのです。
そう、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」んです。
▶連絡先:りゅう
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