四十歳くらいになると、まわりの人間がくっきり2種類に分かれます。

「やりたいことをやって生きている人」「やりたくないことをやって生きている人」

それってなぜなんでしょうか?

 

『ベッカムに恋して』(原題:Bend it like Beckham)という映画で、インド人のヒロイン・ジェスが、猛反対する両親に「サッカーをやらせて」と懇願するシーンがあります。

 

「I really want to go(本当に行きたいの)」

このシーンを見ると、いつも「僕も親にこうやって「本当に」やりたいことをお願いすればよかったなあ」と思うんです。

親が喜んでくれる職業を目指していた。

僕は中学生から高校生まで「映画監督になる」という夢を持っていて、そのために英語だけで授業を行うインターナショナルクラスに入ったり、いくつかのアメリカの大学に面接にも行きました。

けれど高校卒業直前になって、急遽やめてしまった。親父には「怖くなって逃げたんだ」とか言われて、自分でもなぜやめたのかわからなかったんだけど、最近になって気づいたんです。

僕は本当は、映画監督になんてなりたくなかった。

映画監督になれば、映画が大好きな親父に愛されると思っていただけ。

ということに、気づいてしまったんです。

よく考えてみると、漫画家や映画監督、小説家など、どれも「親父が喜んでくれる職業」ばかりを、僕は志していたんですね。

偽りの夢は挫折する。

これは僕に限った話ではありません。

いい大人になっても、小さい頃の親の教えや価値観に縛られている人はたくさんいます。

本人は「自分の好きな夢」を追い求めていると思っているんだけど、じつはその夢は「親の期待に応えたいための偽りの夢」だったりする。

そうすると、その夢は心からワクワクできないから、けっきょく楽しくないから、途中で諦めたり、自分から無意識に失敗する道を選んでしまったりするんですね。

だってそんな夢、はじめっからやりたくないんだもん(≧∇≦)

才能とか適性とかの前に、「自分は本当に〇〇になりたいのか」って、もう一度考えてみるといいかもしれません。

瞬時に「うん、俺は大丈夫だ。本当に好きなことを目指している!」と思った人は要注意です。僕だって四十年間気づかなかったんだから。

ジェスのサッカーのように、親が反対してでもやりたい夢を見つけてください。あなたはもう大人なんだから、何やったっていいんですよ。

▶連絡先:りゅう