◀ いつの頃からか僕は、どうやって休むのかがわからなくなっていた。【鬱日記4】

家に戻ると、昼休みに、心配した家内が帰ってきてくれた。

憔悴しきった僕を見て「あのときと、同じだよ」と彼女は言った。いや、それは違う、と言いかけたが、僕は口をつぐんだ。たしかにあのときと同じなのかもしれなかったからだ。

 

あれは四年前、夏も終わりに近づいた頃だった。いつもと同じ平日の夕暮れ時。仕事から帰ると、家内はキッチンのシンクに山積みになった洗い物を片づけていた。

灯りもつけず、薄暗い部屋で、もくもくと動く彼女の背中に向かって、僕は何かを話しかけた。彼女は答えない。洗い物の水音で僕の声が聞こえないのか、疲れきっていて聞く気がないのか、機嫌が悪いんだろうか。そういえば最近は、あまり僕の話を聞いてくれない。リビングでは子どもたちが、カバンも片づけずに、帰ってきたそのまんまの格好でテレビを眺めていた。

「どうした?大丈夫?」

言いながら家内の顔を覗きこんで、僕は思わずのけぞった。彼女の顔には、表情がなかった。感情の一切表れない顔でひたすらに皿を洗い流しているのだが、その視線は手元にはなく、宙を漂っている。そしてその虚ろな瞳からは、とめどなく涙がこぼれ落ちていた。

彼女はその日から、仕事へ行けなくなった。

家に閉じこもり、自らの言葉で心を傷つけ、身体を傷つけ、何も食べず、眠らず、生きるどころか、立ちあがる気力もなくなりそうになったとき、精神科へ入院することを決断した。

あの頃の彼女は、文字通り毎日のハードワークに忙殺されていた。僕は長距離トラックで家を空けることが多かったし、暇ができれば部屋に閉じこもって小説を書いたりしていたから、三人の子どもたちと僕の世話は、家内が一手に引き受けていた。同時に、重篤患者の介護というとてつもなくハードな仕事をフルタイムでこなしていたので、完全なオーバーワークだったのだ。

恥ずかしながら僕は、彼女が倒れるまでそのことに気がついてやれなかった。そこまで追い詰められてしまうほどの苦しみを背負っているだなんて、ちっともわからなかった。

だから___。今、彼女に「あのときと、同じだよ」と言われても、そうは思えなかった。僕は根性なしだから、君のように家族のすべてを背負って、自分の時間をすべて捨てて、起きてから眠るまでひたすら働いて、毎晩布団に倒れこむように眠るなんて生き方ができるはずはないんだから。

けれどそんな彼女自身に言われて、ふと、そうかもしれないと思えた。

根性なしの僕だけど、今までなにひとつ真剣にやったことなどなかった僕だけど、彼女が倒れたあの日から今日まで、たしかに僕はひたすら走りつづけてきたのだ。

つづく。

▶ 誰に強制されたわけでもない、自分で決めたスケジュールの罠。【鬱日記6】