ボクもずっと正解を求めて生きてたのね。
- いい子の正解
- 男の正解
- 仕事の正解
- パパの正解
みたいに、無意識にあらゆることの正解を追い求めてたから、理想と現実のギャップに苦しんで、それを埋めるために努力して、でもギャップはそんなに埋まらなくて、モヤモヤばっかりしてたんよ。
でもいつだったか「正解なんてないわーい( ̄▽ ̄)」って気づいちゃったの。自分が選んだことは全部正解やないかーい、って。
失敗なんてないッス!
仕事でもプライベートでも、結果が出なかったとき・うまくいかなかったときに
- 「あーダメやーオレはダメなんやー」と凹んでモヤモヤするのか
- 「あ、このやり方じゃねーのかオッケー了解の助」っつってすぐに次の方法を考えるか
のどっちかじゃんね。それを失敗ととらえるか、道の途中で小石につまずいたと思うのかだけっしょ。
なんですぐに次に進めないかっていうと
「他人からどう思われるか?」
ばーーーっかり気にしてるからだよね。
「あいつ失敗したww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつあんなことやってるww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつ超ダセーww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつ死にものぐるいだww(・∀・)ニヤニヤ」
って他人に思われるのがイヤなだけ。
本当は失敗とかミスとかを恐れてるんじゃなくて「失敗したダセーと思われること」が怖いだけ。
なんでそうなるかっていうと、自分が、他人を、心のどこかで
「あいつ失敗したww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつあんなことやってるww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつ超ダセーww(・∀・)ニヤニヤ」
「あいつ死にものぐるいだww(・∀・)ニヤニヤ」
って思ってるからやんねー。
ボクもそうだったけど、自分が人のこと見下してバカにしてるから、自分も誰かに見下されてバカにされると思っちゃう。
ダサいほうがダサくないワイ!
十年くらい前、サーフィンを始めたばかりの頃、超シロウトのくせに台風前のすんげー波のある海に入ったことがあるんだけどね、もうぐっちゃんぐっちゃんでぜんぜん沖に出られないのよ。
ボードごと何度も何度もひっくり返って、水飲みまくって、砂浜に打ちつけられてガリガリ身体を傷つけて、30分くらいがんばったんだけど、けっきょく何もできずに上がっちゃったの。
そしたら浜辺に、当時の職場の先輩(っていうか顔を見たことあるくらいの人)がいて、ボクのことをずっと見てたらしくて、すんげー(・∀・)ニヤニヤしてんのよ。
ホントにププププって笑い出しそうな顔で、何かイヤーなこと言ったのね。ダサすぎるみたいなことを。友だちだったら「うるせーバカ」って笑うところだけど、そいつ心からバカにしてるのが顔に出てるのよ。
でもね、そいつもサーフボード持ってきてるの。そいつもサーフィン始めたばっかで、たぶんボクと同じくらいの超シロウトなんだけど、彼は結局海には入らないで帰っちゃったの。
よく考えたら、ダサくても水飲みまくっても海と戯れてすんげー体験をしたボクより、わざわざサーフボード持ってウェット着て海まで車で来てるのにやらずに他人を嘲笑して帰っちゃうおまえのほうが100億倍ダサいじゃねーかよ!
彼はダサいボクを見下してジャッジしてバカにしちゃったから、自分は怖くてできなくなっちゃったんだね。でも今はそんな彼を見下してないよ。そういうダサさはボクも持ってるから。彼はボクだから。
あ、でも台風前とかマジでアブナイからね、無理したらあきまへんよ。入らなかった彼が正解かもしれん(笑)
映画だと思ったら人を見下さないんじゃない?
他人や自分のことを見下したり見上げそうになったらね、映画だと思えばいいんじゃない。
映画とか小説とかの物語って、主人公がどんなクソヤローでもだいたい感情移入できるでしょ。アル中でも不倫しまくりでも犯罪者でも「しょーがないよねーいろいろあるもんねーあんたも大変だわねー」って、無意識に肯定してるじゃない。
それを「表現はマイナスをプラスに変える魔法だ」ってどっかの小説家が言ってたけどホントそうでね、自分や他人の「つまずき」を、映画の途中のシーンだと思ったら「あれ、恥ずかしくなんかねーな」「失敗じゃねーよ。まだ途中なだけ」って思えるんじゃない。
『レヴェナント』なんか見たらね、ボクらの人生なんて人生ゲームですよ。楽ちんすぎるお遊び。恥ずかしいとかバカジャネーノってなるわ。あの映画のキャッチコピーは「生きてるだけでまるもうけ」だな(笑)。
さあ、今日は何して遊ぼうかー!
▲ 茅ヶ崎ブロガー・サトちゃんとワクワク企み中の図。