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前に、ジオラマのあるショットバーに行ったことがある。

カウンターが十席ほどと小さいが、音楽やインテリアのセンスもよく、とても落ちつく店だった。床もテーブルも壁も、目につくところすべてが、恐ろしく清潔に磨きあげられているのが暗くてもよくわかる。


カウンターの向こう、寿司屋ならネタが並んでいるスペースに置かれた巨大なジオラマには、山があり川があり橋があり街があり、その隙間を何本もの電車が走りぬけていた。明るい場所ではそうでもないのかもしれないが、照明の落とされたバーで見下ろしたジオラマは、本物の街のようで、本物の夜のように見えた。

駅のプラットホーム、商店街を往き交う人々、渓谷にかかる赤い陸橋、目を見張るほど精緻に作られたその世界には、小さな人間が住んでいるに違いなかった。

ぼくが喋るのも忘れてしばし見とれていると、初老のマスターが言った。

「人は遠景を見ると癒されるらしいですよ」

そういえば、ジブリ映画で街の遠景を見ると、心がほんわかと温かく感じられることがある。「魔女の宅急便」とか「耳をすませば」とか。山の頂上から街を見下ろすと、わけもわからず癒されたりもする。

マスターによれば、ほとんどのお客さんは一人でやってきて、ジオラマを眺めながら黙って酒を飲むのだという。たしかにこのバーの主役はお酒でもマスターでもなく、明らかにジオラマだった。絨毯張りの床にホコリひとつ落ちていないほどに掃除がいきとどいているのも、クラシカルなバーなのに禁煙なのも、ジオラマを守るためだろう。

ぼくはつらいことがあったとき、不安に取りこまれそうになったとき、小さなことでいらいらしてしまったとき、あの店のジオラマを思い出す。夜の街の商店街に開いた小さな八百屋の中にいる小さなおじさんと買い物かごをさげたお母さんを、神の視点で見下ろすと、「みんないろいろあるけど、がんばって生きてんなあ」と、安らかな気持ちになるのである。

歯をくいしばるほど悔しいことがあっても、明日なんてこなければいいと願う夜も、自分の姿を遠く高いところから見下ろしてみれば、案外大丈夫じゃないかって思える。ずいぶん小せえことでくよくよしてんじゃねえか、って、自分の頭を小突いてやる。いいから、早く飯でも食っちまえって。