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ヒッチコックの『サイコ』っていう映画を、何十年かぶりに見たんですけどね。

若い頃は、ノーマン・ベイツっていうこの作品の悪役っていうか、犯人なんですけど、その悪の主人公の狂気というか異常性になぜか惹かれて、すごく好きな映画だったんだけど、今見てみるとまたぜんぜん印象が違っておもしろかったです。

まずこれ1960年制作だから、映像技術がまだつたないんです。もちろんモノクロだし。でもそのぶん、カメラワークとか演出とかの工夫が、シンプルで原始的なんだけど、今見ると新鮮に感じられる。文化祭で上映する映画で機材がないからみんなでアイデア出しあってこしらえた、みたいなつたなさがありつつ、逆にそれがなんかアナログでコワいぞっていう効果になってたりして。

それはともかく、僕の記憶では、この映画ってやっぱりノーマン・ベイツの異常性が中核にあって、サイコっていうタイトルどおり、ぶっ飛んだ精神異常者の陰惨な事件という印象があったんだけど、今見てみると、それよりは、脚本のよく練られた多重構造のミステリーという印象が強い。ベイツの異常性はたしかに際立ってるんだけど、それをきちんとミステリーの裏で目立たなくさせているというか、隠しつつたまに小出しにするから、ゾッとする。

あと個人的に驚愕したことがあってね。四十過ぎのおっさんの僕が、この作品を見直して、自分のマザコンっぷりを強烈に自覚したんです。あまりにも強烈で呆然としましたね。うお、俺クソマザコンじゃんって。

なんか心の仕組みとか老子の哲学とか学んで、自分と世界をわかったようなつもりになってたけど、なんだよ俺ただのマザコンじゃねえかよ!(笑)って、なんだか逆に清々しいほどの気づきでした。

マザコンっていうと僕はビートたけしさんを思い出すんですけど(本人もよく言ってますね)、たけしさんもノーマンも僕も、褒められたくて叱られたくてしょうがないんです。今は承認欲求とかいうクソみたいな隠語が一人歩きしてますけど、ただただ認められたい。そういう気持ちがある人は、まあなんでもがんばるんで、世界的に見てもマザコンは有能で、成功者はかなりの確率でマザコンだっていう統計もあるみたいですけど。

最悪なのは、僕みたいに、がんばらない、甲斐性ない、ただ褒めてほしいっていう無能マザコンタイプでしょう(笑)。自分がマザコンかどうか判定するのは簡単で、奥さんやパートナーに「自分のためにこうしてほしい」とか「自分のことをわかってほしい」なんて欲求を言葉や態度で頻繁に出しちゃう人は、多かれ少なかれ合格ですおめでとう。奥さんはお母さんじゃねえからな。立派な男は、相手が自然とそうするように振る舞うし、自分より相手にしてあげるのです。

あれ、高橋一生さんが言ってたのかな。「男はカマキリみたいに生きるのがいい」って言ってて。カマキリのオスのように種付けしたら、あとは奥さんに食べられちゃうくらいの姿勢で生きるほうがいいんじゃないかって。僕も最近は、それくらいの低姿勢で、好きなことやらせてもらおうかと思ってます。

とはいっても、たけしさんが言うように、男はみんな多かれ少なかれマザコンですから。たぶん心理学的にも生物学的にも合理性があるんじゃないかな。僕たちはみんな、お母ちゃんの股ぐらから世界にハローして、おまんま食わせてもらってんだもの。