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たまに、昼時にテレビをつけるとうんざりすることがある。

俳優だと言いながらバラエティで見ない日はない声の大きな司会者が、今日も世にはびこる不正や問題に斬りこんで、我が事のように真剣に腹を立ててがなりたてている。午前中いっぱい懸命に仕事をやり通した後にそんなの見たくない。お昼からうるさいんだってば。

もちろん、うるさいと思うのなら見なければいいだけの話なので、すぐにテレビを消して、iPhoneも遠くにやって、ハワイのFMなんかを聴きながらゆっくりお昼を食べるようにしているのだけれど。

だんだん僕の中でテレビというものはBGMのように生活の背後で見るともなく眺めるような存在になっていきているので、意味なんかなくとも長いあいだぼんやり眺めつづけるに値する風景映像なんかを流してくれればいいのに、とよく思う(だからApple TVで空撮を流しながら音楽を聴くことになる)。

たとえばキューバとかメキシコとかアラスカとかの知らない街を延々と歩いたり、スーパーで買い物をしたり、昼からやってるバーに入ってカウンターで一杯やりながらマスターと世間話をしたり、公園のベンチで筋トレしてみたり、帰りに海辺を散歩してカップルの女の子をイヤらしい目で眺めてみたりしている「自分の知らないどこかの誰かのなんでもない一日」みたいなのを、主観の視点で撮影した映像をずっと流してくれるチャンネルがないかなあ、なんて夢想する。

まあ、そんなものは誰も見ないだろうけど。それでも、自分とは関係のない赤の他人が犯した過ちを、偏執狂の孤独な私立探偵みたいに根掘り葉掘り詮索しているさまを、よく晴れた気持ちのいい昼下がりに見るよりはずっとましだと思うんだ。

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最近読んでいる本ですごく興味を引かれたのが、僕ら現生人類であるところのホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人だとかの他の屈強な人類に打ち勝って霊長類の長として生きのびて今日に至るのは、複雑な〈言語〉を獲得したからだ、というお話。

今から七万年くらい前、類人猿とか他の人類は「気をつけろ!ライオンだ!」くらいのことは伝え合えたのだけれど、我らサピエンスの先祖は「今朝、川が曲がっている所の近くでライオンがバイソンの群れの跡をたどっているのを見た」なんてことまで説明することができるようになったのだという。つまり、より詳細な説明や話し合いが可能になったことで、我らの生存率と繁殖率が飛躍的に高まったと。

さらに、そのような複雑な伝達が可能になると、「噂話」によって、言語と社会性はますます発達していく。

自分たちの集団の中で、誰が誰を憎んでいるだとか、誰が誰と寝ているとか、あいつは誠実な男だから信頼できるだとか、あの人はああ見えてじつは冷酷な男だよとか、人の噂話や陰口をきくことによって、より密な情報を交換し、協力関係や安全性がぐんと高まり、小さな集団がどんどん大きな集団となりえたと。

ファミリー(家族)がトライブ(部族)となり、ネイション(国家)が生まれ、ホモ・サピエンスが唯一の現存人類として生き残った。その繁栄の大きな要因のひとつは、僕らが噂話を好み、陰口ばかり言っていたからなんだ。

だからさ、昼間からテレビで、やれ不正だやれ賄賂だやれ不倫だやれ虐待だって他人を責め立てる人がいて、それを多くの人がテレビで見るということだって、潤滑な社会生活のためには必要不可欠な安全維持の営みなのかもしれない。

考えてみれば、インターネットっていうのは、まさにそういった噂や陰口の巣窟だ。

ネットニュースだって、ブログだって、フェイスブックだってツイッターだって、僕らがそこで毎日あたかも〈厳然たる事実〉であると認識している情報って、どれもじつは自分でない誰かが伝えてくる〈噂〉でしかない。

「メッシが今日もゴールを決めた」というのは限りなく確率の高い事実かもしれないけど、「クリスティアーノ・ロナウドよりもメッシのほうが人間的に優れている」と誰かが書いていたって、そんなもの本当のところは誰にもわからない陰口じゃないか。

インターネットというツールで飛躍的にスピードアップしてはいるものの、僕らが今やっていることは、基本的には認知革命の頃のサピエンスと何ら変わらないのかもしれない。

『サピエンス全史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリは

「フェイクニュースは数千年前からありました。聖書がいい例です」

なんて言ってる。

自分の両眼で見たもの以外の、この世のあらゆるものって、すべて〈噂〉であって、〈物語〉なのではないか、という気がしてくると、映画『マトリックス』をまた観てみようかなんて気になったり。

ネットでもリアルでも、誰かが誰かを過度に責めていたり、知らない人に対して「それはおかしいだろう」と真顔で糾弾している場面を見かけると、なんだかげんなりしちゃうし、それは自分の弱さや怖さが漏れちゃってるだけだよな、僕だってそういうことあるよな、なんて反省しながら、それでも「まあまあ、人それぞれ、うまくやっていけばいいじゃないの」なんて事なかれ主義を発揮しがちな僕だけれど、噂や陰口だって、社会全体には貢献しているのかもしれないな。

でも、まあ、そういうのって楽しくないから、なるべく三匹の賢い猿のように、見ざる、聞かざるで暮らしている。言わざる、はなかなかできないんだけど。