コラム/エッセイ

まる子とももこの光と闇。

さくらももこさんの訃報を聞いて、あまりにも驚いてショックを受けている自分にまず、驚いた。

五十三歳というのはたしかに早すぎる気がしたし、ちびまる子ちゃんという国民的アニメが日常に浸透しすぎて、永遠のように錯覚していたのかもしれない。

ちびまる子ちゃんとの出会いは、高校生の頃ハマっていたオーケンこと大槻ケンヂさんのエッセイだったと思う。それまでは、サザエさんと同じように家族で楽しむホームコメディとして見ていたちびまる子ちゃんが、じつはある種の微量の毒を含んだ家族の形を描いているのだと、すこし穿った目で眺めるようになった。ちびまる子ちゃんの世界には、明るく笑い飛ばすだけじゃない後ろ暗さが、夕日に伸びる影みたいにほんのすこしだけ見え隠れした。

僕が好きだったのは、たしか「ひとりずもう」というエッセイだったと思うんだけど、ちびまる子ちゃんだった作者が、さくらももこになっていく課程を描いた青春マンガだ。吉岡里帆ちゃんがCMで演じる大人まる子は可愛いけれど、実際はあんな風にはいかない。まる子は大人になってさくらももこになる。成長していくまる子はやがて月経を知り、社会を知り、等身大の自分が見えるようになって、漫画家を志しながら、あれこれ悩みを抱える。

手放しちゃったんで詳しく覚えていないんだけど、その作中に、

「世の中に出る直前の、何をどうしたらいいかわからないモヤモヤした時期は、長い人生の中ではとても意味のある貴重な時間なんだよ」

というようなことが書かれていて、当時人生の方向性に迷っていた僕はずいぶん救われたものだ。悩んだり、迷ったりすることって、決してわるいことじゃないんだから。

さくらももこは祖父のことが大嫌いだったので、その反動でちびまる子ちゃんのともぞうじいさんはやさしい理想のおじいちゃんを描いた、という話がある。マンガのともぞうは間抜けで微笑ましいが、実際はそんなに生やさしい家庭ではなかったのかもしれない。

そんな穿った見方をしているせいか、ちびまる子ちゃんを見ていつも思うのは、人間は誰しも多かれ少なかれ闇や影みたいなもんを抱えていて、それを自分の中でどう消化して生きていくか、なんだよなってこと。

闇をいつまでも引きずって生きるのか。なかったことにするのか。立ち向かって消し去るのか。あるいは軽妙な笑いに変えて昇華するのか。

どんな生い立ちであれ、僕らはいかようにも、自分で自由を選べるんだよなあ、なんてまた、モラトリアムの少年みたいに、青臭いことを思ってしまった。

ご冥福を祈ると同時に、フジテレビのテレビ放映がずっとずっと終わらないことを祈ってます。タッタタラリラ。

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