ピザは、だいたいハーフ&ハーフで頼む。
家族でワイワイ暮らしていた頃は、Lサイズを2枚で、いろんな味を楽しんでた。もちろんパイナップルは外せない。
トコロで、最近なんだか、世の中のすべては、だいたい、半分半分なんじゃないか、と思うことが多い。
『岳』っていう漫画では、
「悲しいことがおきるのが山の半分、楽しいことがあるのも山の半分。ふたつ合わさって山なんだよ」
なんてセリフがあった。
あと先日、テレビで言ってたんだけど、
千原ジュニアさんて、中学生の頃は引きこもりでずっと部屋に閉じこもってて、中年になった今、その頃の青春を取り戻すかのように、旅行やアウトドアをめいっぱい楽しんでるそうで、
「人間が一生で浴びるお日さまの総量は決まってるんじゃないか」
なんて言ってて、笑いながら頷いてしまった。
あと、『素晴らしきかな、人生』って映画があってね。
原題の〈COLLATERAL BEAUTY〉って言葉を、作中では〈幸せのおまけ〉って訳してて、COLLATERALって日本語にしにくいし、まあしょうがないよなって感じなんだけど、ボク個人的には、
__どんなに哀しいことがあっても、残り半分のヨロコビも、きっとどこかにくっついてるよ。
って感じに受け取った。
ちなみにこの映画、ウィル・スミスとかキーラ・ナイトレイちゃんとか大物も出てて、監督は『プラダを着た悪魔』の人なんだけど、けっこうぶっ飛んでて、いろんな意味でオモシロいんだけど、
以前見たときは、__なんだかよくわからねえな、としか感じなかったんだけど、ボク自身が主人公と同じように大切なものを失ってから見たら、めちゃめちゃ響いたよね笑。
__あの痛みや哀しみを知らなかったら、この作品の本当の姿も見えなかったのかもしれない。それもひとつのCOLLATERAL BEAUTYかも、なんて。
ジュニアさんが、暗い部屋で鬱屈してた時間は、自己の内面を見つめる時間だったかもしれないし、その頃に発酵した気持ちや思考が、彼独特の視点というか、お笑いの原点になってるのかな、なんて勝手に考えたりもする。
その暗い部屋の半分には、中年になってから仲間たちと旅行やアウトドアでワイワイ遊ぶ半分がくっついてたのかな、なんて。
あと最近、自分のコトを振り返ってみたらね、ボクの人生の夢や願いの半分は叶ってきたんだなって、そんな気がしたんだ。
そして、今やりたいコト、これから死ぬまでにやりたいコトも、きっと、半分はできるんじゃないかって。
久しぶりに心屋仁之助さんの本を引っぱりだして読んでみたら、
__どうせイイこともイヤなこともやってくるから、心配しないで、好きなことやってたら、なんか知らんけどうまくいくよ。
みたいに言ってて、ウン、やっぱり半分半分だなって。
でも、じゃあ、イイことがあったら、そのぶん、イヤなことも起きちゃうのかなあ、イヤだなあ、なんて思うこともあったけど、
ボクらには、受け取る選択と、受け取らない選択があるからね。
__イイことの半分は、めいっぱい受け取って、楽しんで、喜んじゃう。
__イヤなことの半分は、受け取らない。
イヤなことはイヤだとはねつけたり、スルーしたり、じっと耐えたり、クソッタレとか言いながらやり過ごす。受け流す。そしたらまた、イイことがやってくる。
__悩みや鬱屈っていうのは、受け取らなくていいモノを受け取って、いつまでも抱えてることだからね。
自分がそうだったからよくわかる笑。
あと、ボクは、
__イヤなことや面倒なことがあったら、必ず残り半分がどっかにくっついてるはずだからって、目を凝らすよ笑。コラテラルなギフトが、幸せのおまけが、必ずどっかにあるからって。
そしたら、時間差はあるかもしれないけど、必ず、見つかるよ。いつも、半分半分、あるんだ。
アンもさ、元気で可愛くて格好良くて暮らしにリズムをもたらしてくれる最高の相棒なんだけど、まだパピーだから、めっちゃ疲れるよ、シンドイことも多いもん笑。
でもね、どっちもあって幸せなんだ。
いつだって、半分半分。