忙しなく一月が過ぎ、凍える二月が過ぎ、三月になると気力と意欲が充実しはじめた。だが、それに伴うように体調がわるくなった。
やる気はあるが、頭が重く痛く、使いものにならない。
ソファで動けない日々が続いたある日、書棚で目についたチャクラの本を読みはじめた。
良書は読者におもねることがないので、淡々と真理や事例を説くその本は当時の僕にはヘヴィで、なかなか読みすすめることができなかったが、次第にいろんなことがわかるようになってきた。
それからしばらくして、体調が劇的に改善した。
陽気が暖かくなったこと、様々なタイミングが重なったこともあるだろうが、チャクラの概念を意識したことによって、自分の気力、体力、生命感──エナジーが循環をはじめた。
気力、体力、生命感──エナジーがどれだけ低くても、循環をはじめれば、それは徐々に増大していく、ということを身をもって体感した。
そうして気づいたのは、生きる──というのは、今この瞬間にエナジーが循環すること、し続けることである、ということ。
チャクラはその循環するエナジーのバランスを取るためにとても役に立つ。
チャクラの概念は、人類の歴史と統計の膨大で深遠なデータの集積なので、様々な側面がある。
だから人によって活用するポイントや方法は大きく異なるので、僕は自分なりにわかりやすい要素を導き出して、個人的には七つのエナジーのエレメンツと呼んでいる。
ちなみに現在は、ほとんどチャクラを意識せずに暮らしている。
というのは、気力、体力、生命感──エナジーがバランスよく循環している、ということだ。
だがまたこれから、心身が滞れば、七つのエナジーのエレメンツを確認し、自分の現況、現在地と照らし合わせ、バランスを取ることになるだろう。
僕の実感では、七つのチャクラのすべてのバランスが取れた人間など存在しない。見る限り、近いのは大谷翔平くらいのものか。
だが、人それぞれ、どこかバランスが崩れているから、その崩れたバランスが、その人の魅力や色気や可愛らしさにもなる。
何かを失ったり、損なわれたりしても、他の部分でじゅうぶん補うことができる。
他の部分(チャクラ)で補われたエナジーの循環は、損なわれたチャクラや他のチャクラを活性化し、やがて全体のバランスが整っていく。だから、回りつづけることが大切なのだ。
僕がチャクラの概念から学んだもっとも大きなことは、ものごとを象徴的に見る──というものの見方だ。叡知は力になる。痛みは糧となる。回りつづけよう──。