Need no teeth to smile / seeveeaar
それは「将来が現在の延長線上にしか存在しなくなる」年齢であり、人生の再スタートができなくなる年齢だという話でした。37歳まで“ぐーたら”だった人は“一生ぐーたら”だし、37歳までに決断できなかった人は、一生決断できない。それは、“今の自分とは違う将来や夢”を語ってもよい最後の年齢なのです。
引用元: ちきりんの“社会派”で行こう!:37歳の転機を前に……自分でそれに気が付けますか? (1/2) – Business Media 誠
しかし37歳以上のあなたが落胆する必要はないと、僕は言いたい。その気になればスタートはいつだって切れる。いくつになっても、あなたがいちばん若いのは今日だからだ。ただし、今日頑張れなければ、一生頑張れないということではあるが。
とは言っても、37歳を過ぎてからあたりの同年代を見回してみると、たしかにそれぞれ仕事の方向性や経済力、生き方や姿勢なんてものがかたまりはじめている。
バリバリ仕事をして結果を出している人は今後より一層の飛躍を見せそうだし、うだうだしている人はこのまま一生うだつが上がらなそうに見えるし、今は社会的結果は出ていなくとも、毎日を夢や目標に向けて充実させている人の未来は明るく見える。
勝ち組や負け組という言葉を使いたくはないけど、そういう人生がうまくいっている人とそうでもない人、特に社会的・経済的に成功している人とそうでない人を比較してみると、やはりそこには大きな違いと隔たりが散見できる。
まず感じるのは、一般大衆のレベルで言えば、そもそもの資質や才能といったものは、人生の成功にはそれほど意味をなさないということだ。プロ野球選手になる人とか大会社を経営する人とか小説家とか、選ばれた人は別として、いわゆる平凡な僕らその他大勢にとって重要なのは、先天的なタレント(才能)では決してない。
あなたのまわりにもいるはずだ。学生の頃から頭が切れて将来は有望だと皆に羨まれていたのにいまだにくすぶっている奴や、若い頃はトロくて目立たなかったのに、今は社会的に成功をおさめて幸せそうな奴、生まれ持った胆力で早々に頭角を現したのに最近めっきり姿を見せない奴などが。特に若いうちに開花した才能をちやほやされてしまうと、そのままそこに胡座をかいて努力を怠るといったケースはいつの時代にもある。
同年代あるいはそれ以上の、人生がうまくいっている人(社会的に成功していて、素敵な家族や友人にも恵まれている人)に注目してみると、彼らはみな『心技体』のバランスが絶妙に保たれていることがよくわかる。
まず『技』というのは、知恵や知識、ノウハウのことだ。どんな分野であれ、成功するために必要な技術や方法論を学ぶ必要がある。会社の先輩から学んだり、憧れの人を模倣したり、ビジネス本やセミナーで勉強したり、業界で長く働きながら自然と憶えていく人もいるだろう。
サラリーマンであれ料理人であれ経営者であれ小説家であれお笑い芸人であれ、どんな職種であろうと、自分より前に成功している人たちの「教え」を従順に学び、吸収した人だけが、その『技』の礎の上に、成功を築けるのだ。
僕も数年前からビジネス本やセミナーで、セルフ・マネジメントやライフハック系のノウハウを学んで『技』を身につけようと努めているのだが、続けているとどうしてもそういった知識やノウハウだけではうまくいかないことがわかってくる。
成功するためのノウハウや知識から導き出された行動や習慣を、毎日継続するのに必要なのは『心』だ。
僕は何年か前から、朝4時に起床してブログを書き、勉強や読書をして、エクササイズをこなしながら、会社業務や家族との生活も円満に充実させる習慣と行動を続けているんだけど、しばらくすると必ず停滞してうまくいかなくなる時期がやってくる。何にもやる気が起きなくなったり、うまく頭が動かなくなったり、体に不調をきたしたり。
それは仕事のストレスだったりその他の外的要因が多いんだけど、つまるところは『心』が不調になっているのである。『心』というのは、成功するための強い意志なんかも含まれるけど、それよりはあらゆることに対して楽観的にいられる姿勢のほうが大きいと僕は思っている。
人生のどんな場面においても、もっと楽観的になるべきだ。楽観主義こそ、あなたが身につけられる他のどの資質よりも、未来の成功と幸福を約束してくれる。
___『フォーカル・ポイント』ブライアン・トレーシー
世の中には、成功のための多くの名著が氾濫していて、セミナーや勉強会では成功者たちが惜しげもなくノウハウを披露しているのに、追随して成功する人とそうでない人がいるのは、『心』をうまく制御できる人とそうでない人がいるからではないだろうか。
人生がうまくいっている人たちは基本的な姿勢が前のめりで楽観的だ。落ちこんだりしても、すぐに前を向いて、昨日と同じ歩幅で歩きはじめる。そうでない人たちは、何か嫌なことがあったりするといつまでもそれを引きずって、積極的な行動に出られなくなり、結果としてうまくいっている人はますますうまくいくし、そうでない人はそのままだ。
アランは幸福論の中で「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ」と述べている。つまり人間はそのままでは落ちこみがちであるから、意識的に楽観的になる必要があるということだ。
そしてその『心』と密接に繋がっているのが『体』だ。過度のストレスが蓄積すると胃に穴が開くように、精神に支障をきたせば身体にも影響が出る。精神疾患を抱えた人が寝ても寝ても眠いのは、起きて生活するのが嫌だ、という心の叫びが睡魔に姿を変えているのだ。
同様に、運動もろくにせず暴飲暴食を繰り返し、不健康で疲れやすい身体の人は、いつも気分が晴れない。体が重ければ動くのが億劫になり、積極的な行動は生まれない。だから多くの成功者が毎日欠かさずエクササイズをこなし、最大の資本である身体を鍛える。
自分を客観的に分析してみると、『技』である知識やノウハウはまあまあ学べている気はする。常に読書をして新しい知識を取り入れているし、先賢の教えには素直な姿勢でいられていると思う。
年齢相応の衰えはあるもののあまり病気にはならないし、継続的なエクササイズもしているので『体』にもそれほど問題はないと思う。
ただときに『心』がすとんと暗い穴に落っこちてしまうことがある。それは上から見下ろせばまだ光が底まで届いている程度の浅い穴で、生きていく上で支障になるほどではないのだけれど、輝かしい夢や目標のための毎日の積極的な行動を停滞させてしまうことはある。
平々凡々と今の暮らしを継続するだけなら、そういう心が雨漏りする時期というのもそれなりにやりすごせばいいのだろうけど、高い志を持って常に成長していたい身としては、もうすこし『心』のバランスについての『技』を身につける必要があるような気がしている。そしてその『心』の『技』が、今後の僕の盾や矛となっていくような予感もある。
若い頃は偏りやギャップに憧れていたけど、歳を重ねると、人生はつくづくバランスだなと痛感しますね。心技体、うまく保てていますか?