「夢をかなえるゾウ」の神様ガネーシャによると、お参りには裏技があるという。その方法を使えば、願いがかなう確率が三割増になるのだと。
夏の終わりの晴れた昼下がり、ひさしぶりに鎌倉の極楽寺を訪ねて、その裏技とやらを試してみた。
ガネーシャは言う。
「神様の所にはな、毎日毎日、世界各国津々浦々から『健康になりたい』『お金が欲しい』『恋人が欲しい』『幸せになりたい』て、お便りが寄せられるんや。まあ好き勝手願いよるなあ自分らは。しかもその願い事かなえるために差し出すのが小銭て。自分らの幸せどんだけ安上がりですかーいう話や」
「けどな、そんな中でやで、たまに、もう、ほんのたまにやで、こんなんがおるんや。『いつもいつも良くしていただいて、神様ありがとうございます』」
「ぐっとくるよね。神様側からしたら、そういうの、ぐっとくるよ。(中略)もう、こういう子はな、優先的に願い事かなえたるのが、内々での暗黙の了解になってんのよ」
晩夏の心地よい木洩れ陽の下を散歩しながら、この大食らいで関西弁をまくしたてるヘンテコな神様の話をすると、家内はふっと微笑んだ。
僕はガネーシャの悪態を想像して苦笑しながら、わずかばかりのお賽銭を投げて、鐘を鳴らし、手を合わせた。
願い事はいくらでもあったけど、ガネーシャの言うとおり、そういうのは脇によけて、家族の健康と笑顔と、このあたたかいお日様にありがとうと言ってみた。
その瞬間、時が止まったかのように世界から音が消え、肌に感じていた熱が失われ、身体がふわっと軽くなったような錯覚に陥った。
極楽寺のこぢんまりとした境内を眺めながら、僕は唐突に、自分が置かれている境遇のとてつもない幸せを感じたのだった。
まだまだ順風満帆とは言えない人生、子どもたちや家内のこと、これから生きていく場所や仕事、不安はたくさん残っているけれど、それより今、素晴らしい家族や友人に囲まれて、こうして毎日笑っていられることのなんて幸せなことか。
神様に手を合わせて、自分の欲しいものや願いを想うというのは、つまるところ、自分が持っていないものを無意識に確認することだ。あれもほしいこれもほしい、だけど私は何も持っていない。なんて不幸な私。
対して、今の自分や自分の周りの様々なことについて感謝を伝えるということは、自分が持っている幸せを噛みしめることだ。人生は素晴らしいと確認することなのだ。
極楽寺に入るときと出るときでは、僕の足取りはまったく違うものになっていた。よし、これからもどんどんいろんなことにチャレンジして、バリバリ働いて、この素晴らしい人生をもっともっと謳歌しよう、と、そんなふうに力強く歩きはじめた僕の願いは、いつかきっと三割増しで叶うことだろう。