僕には野心がある。
社会的に成功して、有名になって、お金をたくさん稼いで、好きな家と車を買って、人がうらやむような悠々自適な生活をしたい、と人並みに思っている。
けれどそんなことよりも、僕にとっての本当の幸せとは、僕ら家族が毎日笑って生活することなんだと、あらためて、強く、強く、想った。
映画『永遠の0』は、一人の男の人生と、家族への愛と、僕らが生きる意味を教えてくれた。
「帝国海軍一の臆病者」と呼ばれた宮部久蔵は、国に残した妻と娘の幸せだけを祈った。
親になった今なら彼の気持ちがよくわかる。
彼は死を恐れていたわけじゃない。家族を残してしまうことを何よりも恐れたのだ。
僕だって、自分の命と引き替えに家族を守れるのなら、喜んで己の命を差し出すだろう。
三人の子どもたちが、愛嬌のある素敵な大人になって、素敵な人と結婚して、素敵な家族を作って、毎日が幸せだと笑いながら、精いっぱい生きて、死んでいけることこそが、僕の幸せであることは疑いようがない。
僕は、家族のために生きていく。
彼らのために、精いっぱい仕事をして、健やかなるときも病めるときも、笑顔を絶やさずに、家族の笑顔を守りたい。
そして僕のこの想いは、必ず血の中で受け継がれていくと信じている。
その、連綿と続く血中に「繋がる想い」こそが、人間の最大の喜びであり、幸せなんじゃないだろうか。
映画の中で、おじいちゃんの家に遊びに来た娘と孫たちが、晴れた昼下がりに、縁側に腰かけておじいちゃんの話を聞くシーンがある。
僕は夢想する。
自分が年老いたときに、縁側で子どもたちや孫たちに囲まれて笑うことの、なんと幸せなことか。それ以上に嬉しいことが、他にあるんだろうか。
家内が「私はちっとも親孝行していない」と涙することがある。
残りの時間はあんまりたくさんはないかもしれないけど、僕ら子どもが親にできる最大の親孝行っていうのは、僕ら自身ができるだけ幸せになって、その幸せそうな笑顔をできるだけたくさん見せてあげることじゃないだろうか。
僕は夢想する。
死の間際に、僕が何よりもほしいのは、立派になった子どもたちの溢れんばかりの笑顔だ。
できることなら、息を引き取るその瞬間に、愛する家族みんなの笑顔が集まって、大きな一輪の花のように僕を囲んでくれたら、きっと僕は誰よりも幸せな気持ちで旅立てるだろう。
何の変哲もない、至極平凡だけれど、これこそが人間の生きる使命だと、そんなふうな感慨を、『永遠のゼロ』という映画からもらった。
戦争を賛美していると言う人もいるけれど、僕はまた、映画というひとつの表現から、生きる理由を与えられた気がする。
国を離れ、家族とも会えず、特攻に散りゆこうとする男たちを想うと、僕の苦労や哀しみなんて、屁でもないような気になってくる。
そんな比較は安易で無礼かもしれないけど、ありがとうと、言いたい。
2014年2月12日午後6時41分。リビングのソファにて。ママが作る夕餉の香りを胸に充たしながら。これ以上の幸せがあるだろうか。
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