きたかぜとたいよう (イソップえほん5)
 

誰もが知ってるイソップ寓話「北風と太陽」。

北風と太陽が「旅人の服を脱がせた方が勝ち」なんていうハレンチな勝負をするんだけど、もしあの物語の教訓が「何事も無理やりやるのではなく、頭を使いましょう」というものだとしたら、北風ってずいぶん気の毒じゃないか。

なんてことを昔誰かのエッセイで読んだ気がする。

 

だって北風は北風なりに自分にできることを一生懸命やったのだし、太陽だって他に何かができたわけじゃなくて、自分にできることをやってみたにすぎない。

そんなことを思って調べてみると、どうやらこの物語にはつづき(というか別のお話)があるらしい。

北風と太陽は、服を脱がす勝負の前に「旅人の帽子を脱がす」勝負をしていたという。

まず太陽が燦燦と照りつけると、旅人は眩しくて暑いのでしっかりと帽子をかぶってしまったが、次に北風がびゅうっと風を吹かせると、帽子は飛んでいってしまった、という顚末らしい。つまりこっちの勝負では北風が勝ったのだ。

そうなると、ますます「無理やりやるんじゃなくて、頭を使いましょう」という教訓は怪しくなる。

だって北風はあいかわらずびゅんびゅん風を吹かせるだけだし、太陽だって燦燦と照りつけるしか能がないんだから。

そんな一辺倒でまっすぐな北風と太陽を見ていると、僕は夢敗れていった若者たちを思い出す。

映画監督になりたい、作家になりたい、役者になりたい、ロックスターになりたい、サッカー選手になりたい、と輝いた夢を掲げながら、そこに手が届かなかった若者たち。

そこには若き日の僕自身も含まれるんだけど、彼らは自分の向き不向きや才能の有無には目もくれず、ひたすら健気に風をびゅんびゅん吹かせたり、燦燦と照りつけつづけていたのだ。

今、父親として三人の子どもたちの将来を考えると、北風と太陽のお話が身に沁みてくる。

子どもたちには「自分の好きな夢に向かって、精いっぱいがんばりなさい」と言いたい一方で、「君にできることはそんなに多くはない。だから自分の得意なこと、人よりできることを見つけなさい」とも言ってやりたい。やりたいことと得意なことを、合致させてあげたい。

人にやさしくて勝負事に向いていない長男には、プロサッカー選手っていう夢はちょっと難しい気がする。時間はかかるけどものづくりが得意な長女がパティシエになりたいというのは、心から応援してあげたい。とにかくお金持ちになってお菓子をたくさん食べたい、という次女は、きっと僕の想像を越える人物になってくれそうだけど。

大人になったって、そうだ。

様々なノウハウや知識や効率的な手段を学んだって、けっきょくそれらを用いて自分にできること、自分が世界に貢献できることは、そんなに多くはない。残念ながら。

旅人にびゅうびゅう風を吹きつけながら人生の大半を過ごしてしまう前に、両の眼をしっかりと見開いて、自分にできることを噛みしめて、精いっぱいにやるしかないのだと思う。

いずれにせよ、人には太陽のようにあたたかく接したほうがいいですよ。

なんていうと、やっぱり北風には気の毒だけれど。