Thank You
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「あなたは、小さな幸せを見つける達人だ」と言われたことがある。

毎日食べるごはんや子どもたちの笑顔、冬の陽光や小説の一節、あらゆるものからいいところを見つけて、それを大切に愛でることができる。足ることを知り、現況に満足し、感謝の幸せを知っていると、その人は言った。

けれど時折、自分の中から声がする。

「今のままで満足していたらひとつも成長しないぞ。もっと歯を食いしばって努力しろよ」

世界のあらゆるものに感謝することで人は満ち足りた豊かな気持ちになることができると、ある人は言う。別のある人は、現況に満足せず努力して成長していく中にこそ人間の喜びがあると言う。僕はいつも思う。どっちやねん。

どうやら幸せというやつは、その「ありがとう」と「負けてたまるか」のあいだにこそ、転がっているらしい。

僕らは物心ついたときから、競争社会に放りこまれている。クラスには自分より頭がいいやつがいて、自分よりスポーツができるやつがいて、自分よりおもしろいやつがいて、自分より女の子にもてるやつがいる。

大人になっても、働いている会社や収入、家庭、休日の過ごし方にいたるまで、あらゆることを誰か他人と比べて、優越感に浸ったり惨めな気持ちになったりする。

若かりし頃、売れる前の長渕剛さんはいつも、自分を冷遇する世間に対して「負けてたまるか。今に見てろよ」と胸の裡で呟いていたという。

夢を叶えたい、成功して見返したい、一番になりたい、という欲求は成長の原動力であり、そういう「向上心」があるからこそ、毎日は充実し、富や名声という結果を得ることができる。それは素晴らしいことだ。

しかし、だとすれば僕のように、日々の小さな幸せに満足している人間は、努力や成長といった喜びや、抽んでた富や名声を得ることはできないのだろうか。世界中に「ありがとう」を言いながら、人間的に大きくなることもなく、つつましく生きていくしかないのだろうか。人は「ありがとう」と思う人間と、「負けてたまるか」と思う人間の二種類に分けられてしまうのか。

「私は、感謝というのは温かい家庭のようなものだと思っています。そこは自分を無条件で受け入れてくれ、疲れた体と心を休ませてくれる場所です。そして___忘れてはなりません。私たちは、成長するという戦いをやめ、いつでも温かい家庭に戻ることができるのです。そして充分に休んだら、再び外に出て何かを求めて経験をし、成長すればいい。成長することと感謝をすることはお互いにお互いを支え合うことができるのです。」

___『ハッピーコロシアム』in四つ話のクローバー(水野敬也)

なるほどそういうことか。言われてみればアホらしいけど、成長しながら感謝する。感謝しながら成長する。それこそがバランスの取れた生き方であり、その両方を持ち得なければ本当の「幸せ」はないのだろう。

毎日、自分の自由な時間のほとんどを夢や目標のために使っていると、ときどき息苦しくなることがある。充実を実感できる自分の成長が、楽しくなくなってくることがあるのだ。

僕はそんなとき、無理やり作業を続けたり勉強したりするのをやめて、書斎でそっと瞳を閉じて、僕のまわりのあらゆるものに「ありがとう」と言うことにしている。それでだいぶ心が楽になる。

あるいは自分のやったことがたくさんの人に認められて、結果が出たときにも、忘れそうになる「ありがとう」を思い出すようにしている。そうしないと成長が止まってしまうからだ。

調子がいいとき、朝起きた瞬間からハッピーな気分で、自然に感謝で満ち溢れているときは、仕事も成長も生活も、すべてがうまく回りだす。自分ほど恵まれている人間はいない、と思うと、ますますみんなに感謝したくなるし、ますますみんなの役に立ちたくなる。

若いうちは、いくら感謝しなさいと言われても、実感がないかもしれない。「負けてたまるか」という向上心のみでのしあがる人も少なくないだろう。そして気がつく。独りでは何もできないということに。自分だけで成長し、結果を出していると思っていたことが、すべて他人のおかげだったということに。

「『欲望』と『感謝』。これは人間にとって常に引き合っている力のようなものです。そして、時代によってもその比重は移り変わります。たとえば、食べ物が不足していたり災害や病気が猛威をふるっていた時代には、少ないものに『感謝』するという気持ちが自然と生まれました。しかし反対に、現代の日本のように恵まれた時代には、『感謝』する気持ちが薄まってしまいます。すると皮肉なことに、生活は豊かになっているのに心が満たされないのです。」

___『ハッピーコロシアム』in四つ話のクローバー(水野敬也)

本当の幸せが「ありがとう」と「負けてたまるか」のあいだにあるとするならば、やるべきことはおのずと見えてくるではないか。

毎朝目が覚めたら、自分は感謝しているか、自分は目標に向かって行動しているか、と自問すればいい。どちらが欠けていても、僕らの一日は充実しないし、どちらも欠けていれば、それは今日という日をドブに捨てているようなものだ。

『感謝』も『成長』も義務ではない。けれどそれらは、人間が生きる使命ではないだろうか。