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何日かぶりに茅ヶ崎に帰ってきてます。代わりに家内が青山に行っていて、今日は子どもたちも学校なので、猫と二人きり、何もしない時間を過ごしている。

せっかくの空白の時間なので建設的に何かしたいのだけれど、まだ集中して文章を書くほどの落ち着きもないので、今日の日のことや、頭に浮かんだことをそのまま書いてみる。徒然なるままに、というやつです。

昨夜はひさしぶりに夜遅くまで独り酒をあおったので、午前中はソファに横になってうつらうつら。今日は一日、本を読んだり映画を観たりしてぐうたら過ごそうかなどと考えていると、窓から差しこむ夏の終わりの強烈な陽光が、さあさあそんなとこでうだうだしてないで、と外へ誘っている。

頭の端のほうにまだ少し酒が残っている。ラーメンを食べに行こうと思うのだが、どこのラーメンを食べようかと考えこんでいるうちに時間は無為に過ぎていく。車でいこうか、オートバイでいこうか、歩いていこうか。帰りにどこかへいこうか、映画でも観にいこうか、パソコンを持っていこうか。いつもなら瞬時に決める些末な判断もうまくできなくて、まあでも今はまだそんなもんだろうと苦笑して、とりあえずパソコンとカメラを持ってオートバイでラーメンを食べに行くことにする。

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夏の数週間ほっといただけで、庭に群生していたアサガオのツルがオートバイの後輪に巻きついていた。本当なら今頃は四国か九州のどこかの山奥で泥だらけになっているはずだったKAWASAKI 250TRが、もう何年も前から時間が止まってしまったかのようだ。

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茅ヶ崎駅南口のロータリーより海へと伸びる雄三通りから、一本入った裏路地。クリーミーで濃厚な豚骨ラーメンが売りのBUBUという店に入る。じつは迷いに迷って決めた別のラーメン屋さんが臨時休業だったので、やむなくここを選んだのだけど、茅ヶ崎でも屈指の人気店ということもあっていつもながらおいしい。おいしいけれど、うだるような夏の昼に食べるもんではないな。北風が舞う冬の夜なんかに駆けこんで、熱い湯気を吹きながらすすりたい一杯だ。

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駅前の繁華街、と呼ぶにはあまりにも寂れた飲み屋街を、オートバイを駐めた図書館に向かってのんびり歩く。週末の夜などはそれなりに活気があるけど、夏のいちばん暑い時間帯に人影はほとんどなくて、熱海なんかの廃墟じみた温泉街みたいだ。

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▲ いい感じのY字路見っけ。横尾忠則先生にはほど遠いけど。

ちなみにこの通りには、晩年を茅ヶ崎で暮らした作家・開高健がロマネコンティを持参して飲んだと言われている「大衆焼肉ジンギスカン」なる伝説の店があって、夜は少しだけ開いた店の扉からもくもくと白い煙と肉のうまそうな匂いが辺りに流れだしている。おかみさんは愛想がないというよりはちょっとおっかないくらいの接客で、お世辞にも清潔だとは言えない店内だけれど、安くてうまい肉と気取らない雰囲気で地元でも人気の店。みんなでワイワイもいいけど、ワケありの男女が二人でひたすら肉を焼いてしめやかに食べるなんていう感じが合ってる気がする。

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ジンギスカンの手前にあるエキゾチックな看板が、熱海感を倍増させている。この看板いつ頃からあったっけ?ノスタルジーを演出しているんだか、美熟女を推してるんだか。

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こうして陽の高い時間に裏通りを歩いていると、十年以上も住んでいる町なのに、どこか知らない場所に迷いこんだみたいな感覚になる。先日青山から西麻布の裏通りを散歩しているときにも感じたのだけど、僕らはふだん、町を見ているようで見ていないんだよな。上の空で何か考えてたり、スマホを覗きこんでいたり。最近町の写真を撮るようになって、つくづくそんな気がする。

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お気に入りの茅ヶ崎市立図書館のまわりには、教会や緑地、美術館などがあって、ここに来るだけで気持ちが落ちついてくる。駅からの抜け道になっているので車の往来が絶えないけど、それでも緑が多くて、いつものどかな場所だ。

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それほど広い図書館ではないけど、奥にある大きな窓からは裏の豊かな森が覗けて視界から森林浴をしているかのよう。二階の読書室がパソコン禁止でなければ毎日のように訪れたい場所だけれど、静かに本を読むということだけに特化した場所であることがいいんだよな、と最近は思う。僕らは、というか僕は、いつもスマホやパソコンを持ち歩いてるおかげで、じっくり腰を据えて本を読むことがだいぶ減ってしまったもの。ということで最近はネットを遮断して本に立ち返るリハビリ中です。

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写真に添えられた文章だけで天才だとわかるアラーキーの写真集や、最近また話題になっている星野道夫の写真集なんかを眺めていたら、以前友だちに教えてもらった「ダカフェ日記」という写真ブログの写真集を発見。家族の営みと成長を記録した写真に一言添えてあるだけなのだが、平々凡々としていながら、じんわりと心に沁みるいい本だ。

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ブログを書いているのはカメラマンのご主人らしいんだけど、極度の出不精ということで家か近所の写真がほとんど。いい写真を撮るには街や旅に出て真新しい被写体を見つけるもんだとぼんやり思っていた僕だけど、切りとるべき物語は日常にいくらでも転がっているんだということを教えてもらう。

最近いろんな人の写真集を見ているんだけど、写真ていうのはつくづく物語なんだなあと感じている。フィクションという意味ではなくて、その一瞬の一葉から、どれだけの物語が語られ、感じ取られるのか、というのが、つまるところ「真を写す」ということなんだなあと。見るほうも撮るほうも、どれだけ想像力を膨らませて考えられるか。あるいは、何も考えずに撮った一葉から、どれだけの物語が語られ、何も考えずにどれだけ受け取れるか。

写真だけじゃないけど、あらゆる表現や世の中の事象は、落ちついて、じっくり眺めてみれば、物語が見えてくるのだ。小説や映画のように雄弁に語らなくとも、むしろほとんど語らないほうが、物語は広がりを見せるのかもしれない。

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図書館から歩いてすぐの場所に、茅ヶ崎の有名フレンチレストラン「ラ・ターブル・ド・トリウミ」が移転されているのを発見。晴れた昼さがりにここでランチコースを食べたら素敵だろうな。落ちついたら家内と来てみよう。

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図書館でしばらく過ごした後は、隣の高砂緑地で心と身体の深呼吸。

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緑地の住所表記がイケてるじゃないの。

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木々の隙間から陽光が落ちてきて、心がどんどん静かになっていく。森山大道エフェクトとも呼べるRICOH GR2の「ハイコントラスト白黒」で森の光を切りとったつもり。

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青山と茅ヶ崎のいちばんの違いは空の広さだ。空が広いということは、暮らしている世界の上半分がいつも解放されているということ。都心のビル群に囲まれた通りをとぼとぼと歩いていると、上にあるのは空じゃなくて、絵の具で塗るのを忘れた絵画の余白みたいに見える。空じゃなくて、生活の残りかすみたいな。

そういうところで生きていると、人のしがらみに息苦しくなってしまいそうだけど、都会の人は都会の人で、それなりにちゃんと息抜きをして、それなりに自分を解き放って、いやむしろ、もっと強い刺激を入れながら活き活きと生きているんだってことを、最近ぼんやり感じている。そもそも空を見上げるヒマなんてないくらいに忙しいのかもしれない。

これからまだしばらくは、広い青空と絵画の余白みたいなところを行ったり来たりする生活がつづきそうだけど、せっかくなので、親父が見ていた景色を目に焼きつけたいと思っている。