先日、お義父ちゃんのお墓参りに行ってきました。
お義父ちゃん(おとうちゃん)というのは、家内の父親のことですが、家内が「おとうちゃん」と呼ぶので、いつの間にか僕もそう呼ぶようになっていました。なんでも許してくれる、懐の大きな人でした。
お義父ちゃんが眠っているのは、浅草の伝統ある大きなお寺さん。とはいえ、今は骨壺が自動で出てくるハイテク墓地で、室内で快適にお墓参りができます。
晴れた昼さがり、お坊さんの到着を待ちながら境内を渡る春風を浴びていると、小学生の娘・サクラ(仮名)があれこれと聞いてきます。
サクラ「ねえパパ、なんでお墓参りのときは、みんなキレイなお洋服を着るの?」
僕「おじいちゃんに会えるのは年に1度だから、キレイなサクラを見てもらいたいだろ?」
サクラ「それはそうだね。でも、なんでお寺の中や仏像って、あんなに金ピカばかりなの?」
僕「そうだねえ、なんでだろうねえ?」
サクラ「じゃあ、なんであんなにモクモクお線香をあげるの?」
僕「うーん、パパは知らないけど、そういう決まりなんだよ」
サクラ「ふーん、じゃあ、なんで木魚を叩いたり、いきなりチーンて鳴らすの?」
僕「それもパパにはわかんないなあ。サクラが勉強してパパに教えてよ」
親が子どもの質問に答えられないときに使う最終奥義「勉強して教えてよ」を繰り出して、ようやく質問地獄から解放されました。
こういう儀式的な慣習に疑問を抱いたことはなかったけど、たしかにすべてに何らかの意味があるはずだ。
僕は境内の一番後ろから、お義父ちゃんの遺影を眺めながら、お義父ちゃんならどう答えただろう?と、ずっと考えていました。
お義父ちゃんは、子どもたちの幸せを何よりも優先してくれる人でした。ふだんはニコニコしていてとってもやさしいのに、危ない運転をする車がいたり、子どもが危険にさらされそうになると、唐突に人が変わって、筋者の人みたいに怒号をあげるんです。
お義父ちゃんは、決して人に偉そうなことは言わなかったけど、じつはお義父ちゃんこそ、世の中のいろんなことを誰よりも達観していて、だからこそいつもああやってニコニコしていたんじゃないか。
そういえば、今こうして僕ら家族が幸せに生きていられるのは、お義父ちゃんのおかげなんだよなあ。何度も何度も助けてもらったよなあ。
僕は気がついたら感極まって、涙がこぼれそうになっていました。そしてそのとき、ハッとしたんです。
涙にかすむ僕の視界には、金ピカの壁や置物がお焼香の煙の奥にぼんやりと浮かんでいます。
低く大地を揺るがすようなお経の音と、ときおり唐突に鳴らされるチーンという鈴の音が、幻想的な風景をますます現実離れしたものに見せています。
僕は涙こそこぼしませんでしたが、ろくにお経も聞かずに、お義父ちゃんのことばっかり考えているうちに、
本当にお義父ちゃんに会ったような気がしたんです。
「お義父ちゃん、ありがとう!僕らはもっともっと幸せになります!」
普段なら考えない、そんな殊勝な言葉を心の内で唱えながら、僕はお義父ちゃんへの感謝と、今日を生きている喜びで、幸せいっぱいの気持ちになっていました。
お墓参りを終えると、僕は言いました。
僕「ねえサクラ、どうしてお線香を焚いたり、キレイな洋服を着たりするのか、パパわかったような気がするよ」
サクラ「ホント?なんでなんで?」
僕「たぶんだけどさ、金ピカのお部屋も、意味のわからないお経も、チーンていう音も、おじいちゃんに会うためにあるんだよ」
サクラ「どういうこと?」
僕「パパもサクラも、いつもはおじいちゃんのこと忘れてるだろ。毎日学校へ行って、お友だちと遊んで、パパとも遊んで、そういう中でおじいちゃんのこと考えたりしないじゃない」
サクラ「うん」
僕「だからね、こうやってちゃんとキレイなお洋服を着て、背筋を伸ばして、いつもと違う “きちんとした” 姿勢になってね、自分たちがおじいちゃんに会うための準備をしなくちゃいけないんだよ」
サクラ「わかんない」
僕「サクラは今日おじいちゃんに会えたかい?」
サクラ「会えるわけないよ」
僕「そうか。でもパパはおじいちゃんに会えた気がするんだよ。お焼香の香りと、地鳴りみたいなお坊さんのお経と、チーンていう音と、金ピカのお部屋のおかげで、なんかこう、こっちの世界からあっちの世界に行っちゃったような……」
サクラ「パパ大丈夫?(笑)」
自分でもよくわからないんだけど、本当にそんな気がしたんです。
こけおどしのような大仰な装飾や、低く腹に響くお経の音、幻想的な焼香の香りは、すべてが一体となって、僕らを一種のトランス状態に運んでくれるのでしょう。
日々忙しない毎日を送る中で忘れている大切なこと。お義父ちゃんの残した遺志や、代々受け継がれてきた家族の絆。人が生きる上でずっと大切にしなければならないこと。
そういったことを、非現実なトランス状態の中で思い出して、あらためて噛みしめる。
故人を大切にするということは、自分たちの未来を大切にすることなのかもしれません。
この寺の荘厳で立派な建物も、実家の近くにある巨大な如来像も、訪れる度に「すげえな」と感嘆してしまいます。そしてすこしばかり興奮して、人生というものを、一歩下がって見えるようになる。
毎日の些末な悩みがどうでもよくなる。
そういう効果が、お墓参りにはあるようです。
だから、一見儀式的に思える慣習のひとつひとつにしっかり集中して、真剣に取り組んでみるといいでしょう。そうすれば、大切な故人に会うことができるかもしれません。僕みたいに。
上野の山にあるお店で、鰻会席を食べていると、祭壇の上のお義父ちゃんの遺影を差しながらサクラが言います。
サクラ「パパ、おじいちゃん喜んでるよ」
僕「なんで?」
サクラ「だってパパもサクラもママもおばあちゃんも、みんな元気でしょ」
僕「おじいちゃんがそう言ったの?」
サクラ「いつも言ってたじゃん。みんなが元気なのが一番うれしいって。だからあんなに笑ってるんだよ」
たしかに、遺影の中のお義父ちゃんは、とろけるように笑っていました。