Freedom Drives / Satterwhite.B
元トラックドライバーなので、自分を車に、人生を道にたとえて話をしてみるのもおもしろいかもしれません。
さて、僕らはママのお腹から生まれた瞬間からオートマ車に乗って走りだします。
眼前にのびる道は人によってちがいます。きれいに舗装されたゆるやかな下り坂を快適に走りだす人もいれば、いきなりボコボコのオフロード、しかも急斜面を登らなければならない人もいるでしょう。
お金持ちの家に生まれて何不自由なく育っていく子がいれば、貧乏だったりクソみたいな親に殴られたりで辛苦ばかりの幼少期を過ごす子がいるということです。
僕らは道を選べないので、人それぞれ眼前の道をひたすら走っていくわけです。時に道から外れたり、穴に墜ちそうになったり、遠回りをしたりしながら、アクセルをゆるめたり、ぐいと床まで踏みこんだりしながら、気がつくと大人になっています。
大人になると、いよいよ自分で道を選べるようになるのですが、何も考えずに周りの景色を眺めながらのほほんと走ってきた人は、選べる道があまりありません。
それでもその少ない選択肢の中から好みの道を選んで進んでいくわけですが、何年も走っていると、あるときふと気づくのです。なんかしんどいぞ、と。
窓から顔を出して足元を見てみると、ずいぶんと急な坂道を走っていることに気づきます。気を許したら今にも転げ落ちてしまいそうに急な坂道なので、アクセルを床まで踏みこんでもスピードが上がりません。
大人になるまではわりとゆるやかで快適な道を走ってきたので、その坂道はかなりきついわけです。それにもう車自体もところどころボロが出ていて、エンジンの調子もよくありません。
けれどまわりを見渡してみると、他の車はもっと緩やかな坂を登っています。中にはほとんど下り坂に近い道を快適に飛ばしている車もいるし、坂道なのにぐいぐい進んでいく車もあります。
おや、おかしいぞ。
このままこんな坂を登っていてはいつまで経ってもちっとも進めないじゃないか。それにあいつらはあんなに飛ばしてどこへ行こうというのだろうか。
Roads to Gurudongmar Lake, Sikkim / nevervoidphotography
ようやく目が覚めたので、他の車のようにビューンと快適に走るために勉強を始めます。
本を読んだりセミナーへ出かけたりネットで調べたりして、車をチューンナップして、もっと快適な道を選ぶ方法を学びます。
勉強しているうちに、他の車がどこを目指しているのかもおぼろげながらわかってきました。彼らは「成功」というゴールを目指しているようです。それぞれゴールまでの道のりは違いますが、お金持ちになって、みんなにちやほやされて、自由な時間を持って人生を謳歌する、というのがどうやら大筋のようです。
そんな素敵なゴールがあるというのなら、自分も辿り着きたい。そう考えてギヤをシフトアップします。勉強してチューンナップしたので、オートマ車からマニュアル車に変わっていたのです。
さて、一速、二速、三速……とゆっくりながらも順調にシフトアップして、二年が経つ頃にはトップギアでそれなりに快適に坂道を登ることができるようになっていました。
後方へ流れる外の景色はうつくしいし、窓から吹きこむ風も気持ちがいいです。新しい友だちがたくさん増えて、こちらに手を振ってくれます。
Road to special places / Unhindered by Talent
ところがある日、ボン!と大きな音がして、ボンネットから火が上がります。
同時にタイヤがパンクしました。もうもうと煙が立ちのぼり、車は完全に停車。どうにかとっさにサイドブレーキを引いたので坂道を転げることはありませんでしたが、エンジンもタイヤもボディもボロボロで、もう走ることはできません。
トップスピードで快適に走っていると思っていたのですが、実際は車の様々な箇所にそうとう無理な負担がかかっていたようです。
これが昨年の七夕の朝、僕の身に起こった事故です。エンジンが焼きついて心がパンクして、何もできなくなった僕は、会社を辞めました。毎日暗い部屋に閉じこもって小説や映画などの虚構の世界に逃げこんだのです。
あれから半年が経って、家族や友人の大きな支えのおかげで、どうにかエンジンもタイヤもボディも修復することができてきました。
まだ以前のようにトップスピードでは走れませんが、ゆっくりじっくり、また一速からシフトアップしています。
と同時に、ゴールと道もあらためて選び直すことができました。
僕にとってのしあわせのゴールは、成功して大金持ちになって有名になることではないのだと気づくことができたのです。
愛する家族や大切な仲間と、好きなことをたくさんして、より多くの人の役に立って、人をしあわせにすることで対価を得て食べていく。つつましく、健康で、いつも笑っていられればそれでいい。
これ以上のしあわせがあるでしょうか。そしてそのしあわせのいくつもを、僕はすでに持っているではありませんか。
夫婦で「がんばりすぎ病」にかかって心がパンクしてしまった僕らは、お互いに「無理しないで」と声を掛けあうようになりました。
なぜなら僕らは自分では、自分が無理してがんばりすぎてしまっているということに気がつくことができないからです。
だから、あなたも無理しないで。
肩の力を抜いて、ゆっくり辺りを見まわしてみてください。あなたはもうすでにいろんなものを持っているはずです。あなたはすでにしあわせなのに、なぜそんなにがんばるのですか。
他の誰でもないあなたの、本当のしあわせはどんな形でしょうか。