男は安らかな顔で引き金をひいて、女はいつまでも待っていた。『ソナチネ』

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最近どうも、ぼくは本当は観たくもない映画ばかり観てるんじゃないかと思うことがあって、原点回帰というか、自分の真ん中に戻るつもりで、昔好きだった映画や小説に触れるようにしています。

昔から北野映画が好きで、とくに若い頃は『ソナチネ』の衝撃が大きかったんだけど、あらためて観てみたら、いやあ、よかったですよ、やっぱり。よかったというか、痛かった。若い頃には気づいていなかったぼく自身の傷を抉(えぐ)られたような。

『ソナチネ』っていうのは、ひとことで言うと「ずっと死にたがってたおっさんがやっと死に場所を見つけた」みたいな物語なんだけど。その「死にたい」っていう理由を掘り下げていくと、根っこが「親との確執」みたいなところに繋がる部分もあって、ぼくも同じ痛みを思い出したのかもしれないです。誰だって多かれ少なかれ親につけられた傷を抱えていて、それを活かせるかいつまでも痛がっているかの違いなんだけれど。

「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

なんてセリフもそうだけど、『ソナチネ』では全編を通して「いとも簡単な死」が淡々と描かれます。所場代を払わない雀荘のおやじを遊び半分で海に沈めちゃったり、歯向かうやつは躊躇なく撃っちゃうし、笑いながらロシアンルーレットをやっちゃうし、誰もが簡単に死んでいく。愛情がいきすぎると憎しみが湧いてくるのと同じで、死を重く考えすぎると、そのうちどうでもよく思えてしまうのかもしれない。

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石垣島の眩しい海のブルーと、淡々と進んでいく「死」ばっかりのシーンが、えも言われぬ独特の不気味さを生んで、夏の沖縄らしい蒸し蒸しした息苦しさが全編にわたって漂っています。

たけしさんがバイク事故を起こしたのはこの作品の翌年なので、多くの人が(たしか本人も)、あれは自殺未遂だったんじゃないかって言っているようだけど、作品全体に這う不気味さとラストシーンの意味を考えると、たしかにそうかもしれないな、とぼくも思います。劇中の「ヤクザやめたくなったな」「なんかもう疲れたよ」というセリフは、たけしさん本人の言葉にしか聞こえない。

「死にたくなる気持ち」って、案外身近なところから広がっていくと思うんです。

死にたくなったことがない人にはわからないかもしれないけど、死にたいっていうのは、つらくてしょうがないとか、苦しみに耐えられないという要因ももちろんあるけども、それより「もうつかれちゃったよ」という無気力にじわじわと心が浸食されることだったりするんじゃないかな。気力がなくなると、躊躇していた引き金が、きっとすっと軽くなる。

本作の主人公も、つらく先が見えなくて失望して哀しみながら死んだのではなくて、絶望や哀しみなんてとっくに身体の一部になっていて、やっとそこから逃れられるっていう安堵の弾丸で頭を撃ちぬいたような気がします。

誤解を恐れずに言えば、すべての自死が哀しみの対象になるべきではないとぼくは思っています。若くして病気で亡くなる人がいたり、不慮の事故で夭折してしまう人がいるように、自分で人生に終止符を打つ人もまた、そうなるように生きてきた当然の帰結であり、そのすべてを憐れんだり哀しんだりするのは違うんじゃないかな。最期は自分で死を選んだけど、俺の人生はだいたいのところで幸せだったよ、っていう人だっていると思うんです。

人はプライドで死にますからね。ヤクザ者じゃなくたって、いじめられた子も、働きすぎで死ぬ会社員も、手術を拒否して怪しい民間療法に頼ったあげくに亡くなってしまう芸能人だって、つまるところ自分の「自尊心」を守るために「死」を引き換えにしてしまう。

若い頃は「死」というものの実感がつかめなかったけれど、ぼくもそれなりに年とって、大切な人の「死」と対峙する経験を重ねてきたせいか、今は当時のたけしさんが感じていたであろう、皮を剥いで赤い血と肉が剥き出しになったようなヒリつく痛みがちょっとわかる気がします。

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彼が初めて人を殺したのは実の父親だということからもわかるように、親に恵まれない環境で育ったあげくにヤクザ者になった主人公は、いつまで経っても「自分は愛されない存在なんだ」という自己否定に呪われていたんじゃないでしょうか。

だからこそラストシーンで、せっかく生き残ったのにも関わらず、女が待ってくれているのか、それとも自分を見捨てて去ってしまったのかを確認するのが怖くて、自ら引き金を引いてしまった。愛されないならば、死んじゃおう。愛されないまま生きていくくらいなら、死んじゃった方がマシだ。そういうところ、ちょっとくらいわかる気がしませんか。

そしてその根っこには、幼少期に親に愛されてこなかった、という原体験が大きく関わっているはずです。もう一度言うけど、誰だって多かれ少なかれ親につけられた傷を抱えていて、それを活かせるかいつまでも痛がっているかの違いだけなんだけど、そこが大きく人生を分け隔てるのです。

「ソナチネ」というのは、誰もが通るピアノの初級教材のことだそうです。ソナチネで基礎を学ばない者は、うまくピアノが弾けるようになれないように、幼少期に愛を与えられなかった者もまた、うまく生きていくのが難しいということかもしれません。

女は、待っていてくれたんですけどね。あと、ほんのちょっとだったんですけどね。