コラム/エッセイ

寂しがり屋のぼくがフェイスブックを使わなくなった理由。

最近、フェイスブックをあまり使わなくなったからか、お友だちに「距離をおかれて寂しい」というような反応をもらったので(直接言われたわけじゃないけれど)、ちょっとだけ説明しますね。

ぼくはたしかに以前よりはフェイスブックを見る機会が減ったし、「いいね!」とかあまりしなくなったけど、今までお世話になった人や友人知人と距離をおいているわけではないですよ。むしろもっと深く豊かな関係で永続的にお世話になりたいと願っているくらいで、けれどその「交流の場」をフェイスブックじゃないところにしたいなって思っただけなんです。

なぜなら、ぼくがすぐに他人に影響されてしまうふらふらした人間だからです。ぼくは映画や小説やテレビやマンガやアートやアコースティックが好きなのに、フェイスブックでみんながインターネットや旅やニュースや教育やセミナーやデジタルやアカデミックな話をしていると、無意識にそっちに引っぱられてしまうような軸のぶれた人間なんですね。自分の真ん中から遠ざかってしまう。まあ他にもいろいろ理由はあるけれど。

それからね、ぼくはもっと「独りの時間」を大事にしようと思ったんですよ。

いつでも携帯しているiPhoneで繋がっちゃうフェイスブックとかツイッターとかって、インスタントに寂しさを埋められる気がするけど、根っこのところでは何も繋がってなくて、結果的に寂しさを増加させるだけなんだなって気づいたんです。親父が亡くなってから。ようやく。

寂しいときに、その寂しさを受け入れたいなって。

どんなにカッコつけたって、孤独ぶったって、ぼくらが他者を求めるのは寂しいからでしかないんだなって。

人は誰しも、けっきょくは寂しい存在なんだなって。

けっきょく誰ともすべてはわかりあえない。どんなに愛しあう相手でも。自分と他者の間には埋めようのない深淵がある、ということを受け容れてはじめて、ぼくらは自分と他者を認められるんだって。

だとしたら、寂しいって、尊いことなんじゃないかって。

人は誰しも、独りで生まれて、独りで死んでいく。出会いはすべて別れの始まりだとしたら、寂しいってのはデフォルトで、それを無理やり充たす必要はないんじゃないかって。

寂しいってのを受け入れて、そういうもんだとあきらめてからようやく、ぼくらは本当に人生を愛でることができるんじゃないかって。

ぼくはひどく寂しがり屋で、みっともなく狼狽えて、あたふたしてばかりだけれど、それはそれでしょうがないじゃないかって。

フェイスブックで遠い人たちを眺めるより、いま目の前にいる人の顔を見ようって。

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▲ MacBook12インチが雑誌の棚にぴったり収まってご満悦。

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