大学生の頃住んでいた目黒のアパートでは、なぜかテレビでMTVを見ることができた。

 ある日いつものように学校をサボって二日酔いの頭を抱え煙草を吸いながらアメリカの最新チャートやビーバス&バットヘッドを眺めていたら、突如ブラウン管に、緑色の眼球をひん剥いて、ステッカーだらけのボロいエレキギターをかき鳴らしながら、ガムテープでスタンドにくくりつけたマイクを食いちぎりそうな勢いでシャウトしている、なで肩で童顔の青年が映しだされた。俺は彼を見て、彼以上に眼をひん剥いた。装飾なくひとことで言い表すならば、俺は“一発で持っていかれた”

 今や世界的なパンクバンドとなったグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングのクレイジーな瞳と初めて出会った昼さがりである。

 当時大学に通いながらパンクバンドをやるんだかやらないんだかミュージシャンを目指すんだか小説を書くんだかおまえけっきょく何がしたいねん、みたいなモラトリアム浮遊状態のどこにでもいる夢見心地青年で、それまではクラッシュやピストルズなどのブリティッシュ・パンクしか知らなかった俺にとって、グリーン・デイのそのメロディアスでポップな音楽性とアメリカンストリートなルックスとビリー・ジョーの緑の瞳は衝撃的で、一発で頭もこころも持っていかれた、のである。

 落雷を受けたようにシビれた俺は翌日珍しく大学へ行くと、仲のいい友人たちにその話__「アメリカにヤバいバンドがいるんだぜ!」__をしてみたのだが、その時点ではまだ誰も知らず(MTVと日本では時間差がある)、さっそく輸入盤を手に入れてみんなに聴かせても、「なんだかやかましいなあ」と失笑されるだけで、たいへん悔しい思いをしたのを憶えている。ところがしばらく後になって、仲間がみんなで「グリーンデイカッコイイよな!」と興奮して話しているので、「な!俺が言ったとおりだろ!すげーって言ってただろ!」と割り込むのだが、もちろん人はそういうことは一切覚えていないもので、「そうだったっけ?」とまた失笑されて俺はうつむくしかないのだった。

 このような「俺はおまえより先にこんな素晴らしいバンド知ってたんだぜ」を誇示したいのは幼児的な承認欲求であるが、そうやって「ねえねえ聞いてよ、これおもしろいんだよ」と、他者の興味を惹くであろう新しい情報や知識を提示することで自分以外の者と関わろうとする姿勢は、物悲しく語るなら、幼少期に親からの愛情が足りなかった子が唯一見つけたコミュニケーションにおける処世術であるとも言えるし、それはあまりに自己憐憫に過ぎるのでより客観的に考えると、俺はそのような過度の承認欲求を内包しているからこそ、こうしてブログや文章を書いて他者に何かを放ちつづ、曲がりなりにもそれによって生きていられるのだ、とも考えられるのである。

 つまり俺はブログに何を書いているのか、何をしているのかと言えば、幼少期から大学生の頃からあいもかわらず今でも、「ねえねえ聞いてよ、これおもしろいんだよ」と、あなたに語りかけつづけているにすぎないのではないか。レビューでも自己啓発でもなんでも、本来あらゆるブログの本質は「ねえねえ聞いてよ、これおもしろいんだよ」の延長や派生であったのだなと再確認する。より専門的本格的になれば、ブログからメディアや書籍に進化するはずであるから。

 なんでこんな話をしているのかというと、最近ひさしぶりに、”一発で持っていかれた” というほどではないにしても、”これは!” と心躍るプロダクトを見つけたからである。それはSONYの「nasne」というネットワークレコーダーで、ずいぶん前からあるんだけど、これはひとことで言うと「どこでもテレビ」、もうすこし詳しく言えば「録画したテレビ番組や放映しているテレビ番組をWi-Fiやインターネットでどこにでも飛ばせちゃうHDDレコーダー」なのである。

 つまり、たとえばリビングのテレビに接続したnasneで番組を録画すると、その番組をリビングのテレビで見られるのはもちろんのこと、家のWi-Fiを使って寝室のテレビでも、書斎のiMacでも、お風呂のiPadでも、はたまた外出先のiPhoneでも見られる。俺は書斎にテレビを置くかどうか迷っていたのだが、nasneを使えばiMacで放映中の番組も生で見られるのだと知ってテレビはやめた。これはもう「どこでもテレビ」と呼んで差し支えない機器であると言えよう。

 ちなみにnasneはプレステを持っていないと使えないと思ってる人が多いみたいなんだけど、なくても使えるからね。iPadで見られるからテレビだって必要ないし。

 そんなnasneをプレゼントとしていただいて使いはじめて早一ヶ月、思った通りイカすプロダクトなんだけど、その辺のレビューはまた今度するよ。よっしーありがとね。つづく。