最後の喫煙者にはなりたくない。

 ちょっと前のことなんだけどね、私生活でガマンがつづく時期で気力が枯れてたせいか、ニュースやネットでやたらと嫌煙禁煙言ってるやつらが非常にシャクにさわってたんす。

 俺はお酒を飲むときだけタバコを吸うような似非スモーカーなので、自分が吸わないときにタバコの臭いがするのは嫌いで、レストランとか公共の場所が(一部)禁煙になるのとかはむしろうれしいんだけど、その流れに乗っかって、喫煙者は人にあらず、みたいな発言をする人たちにムカムカしてたの。

 そんなときに思い出したのが、中学生の頃に読んだ筒井康隆の『最後の喫煙者』という短編小説でね。数十年前に未来を予見してた傑作なんだけども。

 物語をざっくり説明すると、世界中で嫌煙運動が盛り上がって喫煙者たちが迫害されて、最後の一人になった主人公が政府や国民に追い立てられて国会議事堂の屋根の頂上に追いつめられて……っていうドタバタSFコメディで、細かい内容は忘れちゃってたんだけど、この小説を読めば、かの天才・筒井康隆先生が、現代の正義面した禁煙ファシストどもを爽快なまでにやっつけてくれるだろうと期待して、数十年ぶりに読んでみたんです。

 ひさしぶりに読んでみた感想は、まずやっぱりとにかく笑えた。おもしろかった。頭のいい大人が真剣に遊ぶとこういう素晴らしい作品が生まれるのだ、という代表のような小説で、お馬鹿なことをくそまじめに、あるいは、くそまじめなことをあくまでお馬鹿に書く、という筒井先生の天才っぷりを存分に堪能できる作品で大いに楽しませてもらいました。

 さてそれより、チェーンスモーカーであらせられるはずの筒井先生は、どんな風に禁煙ファシストどもをロジカルかつマッドに蹴散らしてくれているのか、つまり結末がどうなったかっていうとね、人類最後の喫煙者となって国会議事堂の頂きに追いつめられてヘリコプターに攻撃されて、自分も転がり落ちて死ぬんだと覚悟したとたん、唐突にあたりが静かになって、今度は「この貴重な喫煙者を天然記念物として保護しましょう」という演説が聞こえてくるっていうチャンチャン、な終わりなの。

 実際に読まないとニュアンスは伝わらないと思うけど、つまり、喫煙の善悪なんてそんな程度の、目くじら立てて大騒ぎするほどの問題ではなくて、人間っていうのは、世の中が平和で不安やトラブルがなければ、自ら敵対する悪をつくりあげてどんちゃん騒ぎをしてヒステリーを起こして集団催眠にかかってしまうようなバカヤローだっていうオチです。ブルーハーツの『皆殺しのメロディ』の「我々人類はバカ!過去現在未来バカ!」という歌詞が思い浮かびました。

「わたしたちはあの悲惨な戦中、戦後を体験してきているが、世の中が豊かになればなるほど、法律や規則がふえ、差別がふえ、不自由になっていく。これはなぜですか」同志はすべて斃(たお)れ、たったふたりとなり、ついに国会議事堂の天辺(てっぺん)に追いつめられ、ありったけの煙草をふかし続けている時、日下部さんがおれに訊ねた。 「つまるところ、人間はこういうことが好きなのですか」 「そういうことでしょうなあ」と、おれは答えた。「こういうことをやめさせるためには、結局のところ、戦争を起すしかないようですねえ」 その時、日下部さんの頭部を、ヘリから発射された催涙弾が直撃した。無言のまま、日下部さんは墜落していった。地上に蝟集し、花見気分で酒など呑み、浮かれている群衆がわっと喚声をあげ、声をあわせてはやし立てる。

___『最後の喫煙者』筒井康隆

 最近はそんなニュースばっかりだよね。児童の声がうるさいから保育園をつくるなとか、危ないから運動会の組み体操はやめろとか、ベビーカーを満員電車に乗せるなとか、そういうのってみんな、平和の証明なんでしょうね。

 そう考えると、やいやい騒ぐ人と同じ土俵に立ってもしょうがないよね。平和だから、平和な上に自分の中に不安があるから他者の行動が目につくだけで(俺もそういうことはしょっちゅうだ)、その土俵でイライラしてたら同じじゃんて。

 スティーブン・キングが「うんこ投げ競争の勝者は、参加しなかった者だ」と言ったように、どうでもいい、馬鹿らしい闘争にムキになったらもう敗者よ。松ちゃんも、乳首相撲をする山ちゃんと出川に対して「こんなもん両方負けですよ」って言ってたよね笑。

 俺も人の言うことにいちいち目くじら立てていないで、せいぜい屋根の上に追いつめられないよう、なるたけ人のいないところで煙をくゆらせることにするよ。いい陽気になってきたからねえ。

 ブルックリンのタバコ屋さんを舞台にしたこんな傑作があるんだけどな。人生は煙のようなもの、だぜ。