この前、心屋さんが、原因と結果は関係ない、って言っててね。

嘘やん!って思ったよね。

因果なんてないんだって。

ぜんぶ、たまたまなんだって。

成功とか、失敗とか、良い結果も、悪い結果も、がんばったからとか、適切な方法で努力したからとかいうのとは、もっと別のところで、”たまたま” そうなった、って言うのよ。

○○したからこうなった。

厳しく育てられたからグレた。

セックスしたから子どもができた。

飲み過ぎたから二日酔いになった。

食べ過ぎたから太った。

液キャベ飲んだら楽になった。

……誰の話だ笑。

こういう、因果応報を世の真理として生きてきた俺にとって、心屋の言う「因果を切れ」ってのは、なかなか容易に受け容れられるもんじゃなかった。いくらなんでも嘘やん。

けれども……。

そうかもしれないな、と思いながら過ごしてたら、少しずつだけど、「人生はたまたま」な証拠が集まってきた。

ある著名なハイパーメディアクリエイターは「何が当たるかなんかわからないから、好きなもんはぜんぶ出す」と言う。すべて計算し尽くしてると思ってたけど、そうじゃないんだ。たまたまなんだ。

たとえば、俺の好きな北野武監督とか、村上春樹とか、ダウンタウンのコントでもいいけど、スゲえ作品が評価されてる一方で、「おいおい笑」って情けなくなるくらいの駄作もたくさんある。

どんだけ結果を残してる人も、ヒットしたり売れたりしてるのって、たまたま、なんだよな。

ピカソだって、これは世界に認められるだろうって考えながらゲルニカ描いたわけじゃなくて、たまたま。

って、いくらでも例はあるんだけど、考えてみれば、

生でセックスしたって、必ず受精するわけじゃない。たまたま、そんときの精子くんが強くて、たまたま、そんとき卵子が受け容れる準備があったときに、ヤバいくらいの確率で生命が宿る。何万匹もいるんでしょ精子って。超たまたまじゃん。

なんかね、ひとつひとつ論破すると理屈っぽくなるからやんないけど、今まで思ってた以上に、人生って、「たまたま」の連続なんだよね。

自分で人生や日常をコントロールして社会的に成功してる(と思っちゃってる)人や、一生懸命がんばって人に尽くしてる(と思っちゃってる)人には、きっと到底受け容れられないかもしれないけどね、しょうがないよ。本当に、たまたまなんだもん笑。

おまえが成功してるのもたまたま。

金持ちの家に生まれたのも貧乏に育ったのもたまたま。

あなたが悩んでるのもたまたま。

猫が骨折したのもたまたま。

庵野秀明がエヴァンゲリオン考えたのもたまたま。

今日雨なのも、いつもよりどん兵衛がうまいのも、ぜーんぶたまたま。

つまりさ、この広大で深遠で果てしない宇宙と世界においてね、ちっぽけな俺たちごときが何かをコントロールしてるって思うこと自体が、果てしない傲慢だってことだよ。

ビッグバンで宇宙が始まったときに、ビリヤードのブレイクショットのように動き出した世界の運命がアタリマエのように動いてるだけで、俺たちはその波に乗ってるだけ。

サーフィンしてるときも思うよ。うねりがくるのもたまたま。うねりが綺麗に割れるのもたまたま。割れた波に乗れるのもたまたま。

もちろん、たまたまに対応するだけのスキルを身につけてたら、スキルがない人より成功する確率はあるけれども、そんなんもぜんぶ含めてたまたまたま〜〜〜。

なんて、壮大な話になっちゃったけど、あんたが成功してしあわせなのも、いつも鬱屈して下を向いてるのも、あんたが何かしたからとか、自分のせいだとか、ないんだよ。人間ごときが調子にのんなよ。

だから、好きなことやって、生きて、死ね。

明日死ぬぞ。あるいは死なないぞ。たまたまな。

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▲ 秋の宵の江ノ島素敵だぞ〜!