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デビッド・フィンチャーにハズレなし、である。

さあ今日は映画でも観るかと書斎を暗くしてプロジェクターに灯を入れてNetflixやらAmazonプライムやらHuluやらで今日の一本を探すときに、どうしてもハズしたくない夜は、気づいたらクリストファー・ノーランかクリント・イーストウッドか、デビッド・フィンチャーの作品に逃げこむことになる。

ということは同じ作品を何度も観ることになったりもするのだが、その晩は運良く未見のフィンチャー作品に出会うことができた。こんなの撮ってたんだね『ゾディアック』って。

本作は1960年代から70年代にかけてアメリカで実際に発生して今もなお未解決の連続殺人事件を題材にしている。ミステリーとサスペンスの職人フィンチャーが扱わなくとも、じつに謎に満ちたドラマチックな事件なんですねこれ。

現代のように情報が体系的に共有されていなかったり警察の捜査に時代的な不備があったとはいえ、5人も殺害しといてさらに警察や新聞社に何通もの犯行声明を送りつけ、本当は37人殺してて新聞に載せないともっとやっちゃうよなんて嘯いて、テレビ中継で電話インタビューを受けたりと、かなり大胆に大衆マスコミ当局みんなを踊らせたにもかかわらず、けっきょく今日まで捕まっていない(おそらく亡くなっている)、というミステリアスでエキセントリックな犯人像。

また犯行声明の文章や暗号がフィクションのごとく挑発的で、その典型的な劇場型犯罪の見事さが不謹慎ながらそそります。

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そんな怪事件をダーク・ミステリーの職人が腕を振るって料理した本作で印象に残るのがなんといっても〈黄色〉。そこら中で色が気になるんです。

主人公の風刺漫画家グレイスミスが働くサンフランシスコ・クロニクルという新聞社の社内のインテリア、巨大な柱やノートブック、セーター、スナックや食べ物のパッケージ、食堂のイス、イエローキャブに至るまで、あらゆるところに〈黄色〉が散りばめられていて、やたらと気になる。

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しかもそれがどれもスタイリッシュなんですね。ただ印象づけるために色を配置しましたよ、という感じではなくて、当時はこういうカラーリングが流行っていたのかなと考えてしまうくらい自然に見栄えよく出てくる。キューブリックっぽいかもしれない。

その対比のように頻出する〈水色〉もやたら気になる。だんだんと、あらゆるシーンに意図的に〈色〉が置かれていることに確信を持ってきて、なぜか昂ぶってくる。

調べてみたら〈ゾディアック〉というのは英語で〈黄道帯〉という意味らしく、それが何なのかはよくわかんないけど、文字から察するにやっぱりフィンチャーが意図的に〈黄色〉を使っているのは間違いなさそうです。

余談だけどオイラ個人的に〈黄色〉がすごく好きでね、最近。とくにちょっとくすんだ〈芥子色〉が好きで、〈水色〉も好きなので、映像を眺めてるだけでだんだん気持ちよくなってくるんですねこれ。

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フィンチャーって人は、『セブン』でも黒澤明にインスパイアされているのかほとんどが雨のシーンで、雨の〈黒〉に印象的な〈緑〉が多用されていたり、映像で心象操作をする人なんだけど、考えてみるとそれがいわゆるひとつの彼の〈芸〉であり、〈ミスリード〉でもあるんですね。

つまり、多用される〈色〉やスタイリッシュな映像、ショッキングなシーンでもって観客を混乱させて、物語の筋から目線をそらす。マジシャンがコインを隠し持っていない方の手を大きく動かして見せるように、重要な流れから〈映像〉によって脳をミスリードすることによって、後に用意された〈どんでん返し〉が効いてくる。

まあ、表現ていうのはたいてい、そういう〈ミスリード〉を散りばめていくものであって、フィンチャーはそこのネタや映像がカッコイイからやられちゃうんですね。

で、未解決の事件ではあるけれども、本作では限りなく真犯人まで近づいています。あたかもフィンチャーや制作陣はコイツだと確信しているかのように。

ただそれでも、現実的には迷宮入りであり、どれだけの人が心の中で真犯人はコイツで間違いないと頷こうとも、それを立証することは誰にも、永遠になしえない、というところに、本作のモヤモヤとしたミステリーが後味悪く残って、気持ち悪くて気持ちいいという変態的快感をもたらしてくれる作品です。

マーク・ラファロがドハマリで最高でした。ロバート・ダウニー・Jrはもうああいう役しかできないのかしらってくらい自然ですね。ブルーのカクテルにハマっちゃうの笑えますよね。ピース。

今ならhuluかNetflixで見られるよ。