smiles
smiles / eflon

「おぼえたり教えられたり、勉強したりするんじゃなくて、ある日突然ピンときて、だんだんわかることがある」

甲本ヒロトはブルーハーツの楽曲『歩く花』の中でこう唄っている。 なるほどたしかに、僕も最近そういうことが多くなってる。

何がどうなってそう思ったのかはわからないけど、僕がある日突然ピンときて、だんだんわかってきたのは「僕らが幸せになるためのたったひとつの方法」ってやつだ。

またなんか抽象的なことを言いはじめたな、と呆れ気味のあなた、とりあえず僕の話を聞いてくれ。笑い飛ばしてもいいから。

結論から言うと、幸せになるためのたったひとつの方法とは、

「他人を幸せにすること」だ。

残念ながらこれはまごうことなき真実で、人を幸せにできない奴は幸せになれず、より多くの人を幸せにすれば、自分もそれだけ幸せになれるというじつにシンプルな世界の図式。

なんかいかにも自己啓発っぽくて、宗教っぽくて、抽象的で、観念的で、道徳臭いと思うかもしれないけど、それはこれが本当のことだから、月並みで手垢にまみれた言葉に聞こえるんじゃないのかな。

伝わるかわからないけど、できる限り言葉にしてみる。

まず、人生において何より大切なのは愛だ。これはもうビックリするくらい本当にそうだ。

で、その次に大切なのは、残念ながらお金だ。

永六輔さんが「お金で幸せは買えないと言うけれど、とりあえずお金があれば幸せだよなあ」と書いたように、お金がすべてではないけれど、お金はだいたいのところを満たしてくれるし、愛をつらぬくためにはお金が必要なことも多い。

そしてそのお金こそが、人をどれだけ幸せにできたか、というのを数値にして見せてくれるとてもわかりやすい価値観であり、人生のご褒美に他ならないというのは、まあ言うまでもない。

お金持ち、と聞いて誰を想像するだろうか。 僕なら、マイクロソフトのビル・ゲイツとかアップルの故スティーブ・ジョブズとかフェイスブックのザッカーバーグとかのIT界のトップとか、プロスポーツ選手とかが浮かぶんだけど、彼らはみんな間違いなく、とてつもないほどたくさんの人間を、とてつもなく喜ばせて、幸せにしている。

Windowsという優れた汎用性OSのおかげで、文字通り世界中のあらゆる仕事の労力と時間が節約され、世界は急激に加速した。

iPhoneは僕らにまったく新しいライフスタイルと変革をもたらし、Facebookは人間関係と人生の歩き方を変えてしまった。

会社の売り上げとかプロダクツのシェアとかがどうこう言う前に、彼らは自分たちが生みだした製品やサービスによって、世界中の多くの人々を幸せにして、その分の報酬を得ているからたっぷりお金持ちなのだ。

僕はつらいことがあってどんなに落ちこんでいても、香川真司や本田圭佑が活躍していれば、うつむいていた顔をあげてテレビ画面に釘づけになる。サッカーというただのスポーツから希望と活力をもらう。熱狂とはそういうもので、だから彼らには多額の年俸が支払われる。

ブログだってそうだ。100万PVを越えるアルファブロガーの人たちは、情報発信のテクニックに秀でているとかやり方がうまいとかいうことではなしに、結果としてそれだけたくさんの人に有益な情報を届けて、たくさん人を幸せにしているのだ。

街角の文房具屋さんやお肉屋さんや本屋さんは、その街に住む限られた数の人たちを幸せにすることができるけど、Amazonはもっともっとたくさんの人を幸せにすることができるから、世界の市場を支配している。人情あふれる商店街が消えていくのは寂しいけれど。

世界はシンプルで、わかりやすい。

だからもしあなたが、お金が足りない、と感じるのならば、あなたは自分が考えるほどには他人を幸せにしていないのだ。もっとたくさんの人を幸せにする方法を考えればいい。それがわからなければ学べばいい。学びの場所を探せばいい。

I must be one of the luckiest people alive
I must be one of the luckiest people alive / Ctwirler12

けれどもちろん、お金があったからって必ずしも幸せになれるとは限らないわけで、もっともっと大切なのは、人間関係だ。

人間関係に悩みがある人、好きな人に好かれない人、誰にも愛されていないと感じる人は、その人たちを幸せにできていないだけだ。

夫婦仲が悪いんなら、相手を幸せにできていないんだし、子どもたちが言うことを聞かないのは、彼らを幸せにしていないからだし、友人ができないのも、同僚とウマが合わないのも、近所づきあいが下手なのも、自分のことばっかり考えて、みんなを幸せにしていないからに他ならない。

恋人ができないのだってそうだ。

恋愛が成就するっていうのは、お互いがお互いを幸せにできるという奇跡の関係性が成り立つということだ。

隣のクラスの女の子に恋い焦がれたら、廊下ですれ違っただけでドキドキして、ちょっとしたことでも会話を交わしたりなんかしたら、天にも昇る気持ちになるだろう。それは彼女がそこにいるだけであなたを幸せにしてくれているということ。

けれどあなたがどれだけ彼女のことを想っていても、あなたが彼女を幸せにできる存在でなければ、彼女はあなたを選んではくれないから、二人が結ばれることはない。

大事なのは恋に恋して熱病に浮かされることではなく、彼女を喜ばせられる男になることだ。

だからストーカーっていうのは、一途な愛をつらぬいているんでもなんでもなくて、ただただ相手を不幸せにして気持ちをますます遠ざける哀しいなれの果てなんだ。

family
family / Key Foster

そういうふうに人を幸せにすることを考えると、家族っていうのは本当に大切でかけがえのないギフトなんだと思えてくる。

だって父親である僕にしてみれば、子どもたちはもうただ産まれてきてくれただけで僕を最高に幸せにしてくれるんだから。

アイスクリームをなめて笑い、キャンプ場ではしゃいだ笑顔を見せて、ビーチで走りまわって、パパ大好き!とキスをしてくれる。そんな子どもたちがいるってただそれだけで、もうたっぷり幸せじゃないか!

だからその涙が出るほどの幸せを、子どもたちに返してあげたいと思う。もっと笑顔にさせたいし、豊かで充実した人生を送るための教育と道しるべを与えたい。そういう連綿とつづく愛情の連鎖こそが、人間の本来の幸せのかたちなのかもしれない。

やっぱり世界はシンプルで、わかりやすい。

幸せになるためのたったひとつの方法は、人を幸せにすることだ。

でも、どうやったらいいんだろう?

それを学びつづけることこそが、人を幸せにする方法を模索しつづけることこそが、最高の人生とか豊かな人生と呼ばれるものなんじゃないのかな、とある日突然ピンときて、だんだんわかってきているような気がする。

社会的に成功している人たちに共通しているのは、彼らは成功してからもずっと「勉強」をつづけているということだ。

彼らは夢を抱いたその日からずっと「人を幸せにする方法」を学び、模索しつづけている。

ならば僕らも、いつでも自分に問いかければいい。

「僕は今、目の前にいるこの人を幸せにできているだろうか?」

「この人は、何を求めているのだろうか?」

「僕の書いた記事は、読んでくれる人をすこしでも幸せにしているだろうか?」

「僕が今やっている仕事は、誰かの役に立っているだろうか?」

「僕がここでその作業を代わってあげたら、この人は喜ぶんじゃないだろうか?」

「僕が今できる最良のことってなんだろう?」

毎日の一瞬一瞬をそうやってすごすことができれば、世界はずっと明るくなる気がする。

肥大した自意識や自尊心とか嫉妬心とか、そういうの馬鹿らしくなるよね。

あんまりうまく話せなかったけど、この記事がほんのすこしでも、あなたを幸せにしてくれたとしたら、僕にとってこれ以上の幸せはありません。読んでくれてありがとう。

僕は頭が悪いから、チャレンジしつづけるしかないんだとあらためて思う。 | CLOCK LIFE*



ウォーク・ドント・ラン。走りつづけることはできないよね、歩くんだよ、今日も、明日も、明後日も。 | CLOCK LIFE*