お義父ちゃんは昨年のハナミズキの季節に亡くなった。
いつもお義母さんや子どもたち孫たちを最優先して、いろんなことをやってくれるやさしい人だった。
自分がこうしてほしいとか、アレがほしいとか、そういう欲望やわがままを言うことがほとんどなかった。
でも亡くなる直前のお義父ちゃんは、しばしば家内にも頼み事をしたり、あれが食べたいとか、あれを見にいきたいとか、いろいろ言うようになった。
家内はそれを思い出すと、もっともっと何かしてあげたかったと思うと同時に、お義父ちゃんが最期にワガママをたくさん言ってくれたのが、本当にうれしかったのだと言う。
たしかにあの頃のお義父ちゃんは、もう自分の死期を悟っているのに、いつも朗らかに笑って、とても幸せそうだった。
僕なんか自分の余命があとわずかだなんて知ったら、とてもじゃないけど怖くてぶるぶる震えていそうだけど、お義父ちゃんの笑顔は眩しかった。
以前の職場にも、ガンで今年いっぱいもつかどうか、という上司がいた。
現場を仕切る剛胆な人で、いつも大口を開けてガハガハと笑い、いつも夕方になると日本酒を一本買って、鼻歌を唄いながら独りだけ先に帰ってしまうような人だった。
あの人が今どうなっているのかわからないけど、あの人もお義父ちゃんも、自分の死が見えてから、むしろ幸せそうに毎日を暮らしているように見えた。
それまでよりも自分の好きなことをやって、小さなワガママを言うようになった。
そして、それまでよりもずっと幸せそうな顔をするようになった。
そうなると、まわりの人も、結果的にハッピーになる。
自分の近くにいる人が好きなことをやって、幸せに笑っている、というのは、間違いなくまわりを幸せにする。
「明日死ぬかもしれないから、後悔しないように生きよう」とか言われても、リアルに想像できないかもしれない。
だから代わりに「明日死ぬかもしれないから、昨日よりワガママを言ってみよう」と考えるといいかもしれない。
僕の家内も、アレがほしいとかどこへ行きたいとか、そういうことを一切言わない人だったけど、最近すこしずつ、自分の欲望を表してくれるようになった。
そうすると、僕が幸せになるのだ。喜ぶ彼女を見て、喜ぶ僕を見て、子どもたちも喜ぶ。
ワガママを言うと、みんなが幸せになるんだ。
だからあなたも、家族や友人、まわりのみんなを幸せにするために、少しだけワガママを言ってみたらどうでしょうか。
逆にいつもワガママばかり言っている人は、そのワガママをいつもきいてくれる人のワガママを、今日はきいてあげませんか。
そしたら多分、あなたも、そしてまわりの人も、すこしだけハッピーになれると思います。