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プロブロガーで作家の立花岳志さんは、キッチンの排水溝を定期的に掃除することで、運気を引き寄せているという。

▶ 僕が幸運であり続けるために欠かさず掃除している家の中の場所について | No Second Life

僕は「風水」とか「運勢」には詳しくないんだけど、偶然にも最近、立花さんと同じようにキッチンの排水溝をよく掃除している。

排水溝の汚れは、小さいけれど確かなストレス

単純に家にいる時間が増えたので、今までよりキッチンで洗い物をすることが多くなったから、というのもあるけど、これまで気にしていなかったことが気になるようになった、とも言えるのだ。

今までは仕事もプライベートもあまりにも忙しくて(自分でそうしていたのだが)、家の汚れに気を配っている余裕なんてなかった。僕も家内も元々はかなりの綺麗好きなんだけど、貧乏暇なしというやつで、家を磨く暇があったら、仕事やら日常の雑務やらストレス発散のためのあれやこれやと、他にやることがいくらでもあったのだ。

けれど立花さんや掃除術の先達たちが言うように、小さな汚れでも、家中にはびこってしまえば、集中力や積極性が失われ、自己認識が低下し、思考や行動が滞っていく。

自分では気づいていなくても、毎日汚れた排水溝やホコリの溜まった床が目に入る度に、僕らは無意識にげんなりしている。

シンクの排水溝がぬめぬめと汚れているという事実は、小さいけれど確実なストレスであり、その蓄積が今日の行動、ひいては人生そのものに影響を及ぼすということだ。

散らかった書斎が好きだった僕が、デスクまわりを拭くようになった。

加えて最近は、毎朝デスクとパソコンまわりをぞうきんで水拭きするようになった。

これはなにも、立花さんが毎週月曜日にデスクを水拭きしているから、僕は負けじと毎朝やってやろうと対抗しているわけではなくて、我が家はいつも窓という窓を開け放って家中に海風を渡らせているので、窓のそばのデスクまわりがすぐに砂や埃に汚れてしまうからだ。

けれど以前の僕は、ガラクタや書類にまみれて雑然としたデスクが好きだった。

なんか映画に出てくる科学者とか、辞書を編纂する人とか、昔の作家の書斎とかって、いつもこう散らかっていて、混沌としているイメージがあったんです。そういうほうがクリエイティブな発想ができるんじゃないかって、いつの間にか思いこんでいたんですよね。

でも最近いろんなことがあって(良いことも悪いことも、いやよく考えてみれば総じて良いことだったか)、混沌としていた頭の中をシンプルに整理したら、身のまわりもシンプルにしたくなってきた。

書斎やデスクまわりにも、最低限のものが置かれていればいい。読みかけの本とか、書きかけの記事の資料とか、使わないペンとか、食べかけのチョコレートとか、もうちっともときめかない埃をかぶった置物だとか、以前はそこにあって当然だった物たちが、脳にとってノイズでしかなくなってしまった。

僕の場合は、悩みやストレスや不安がごちゃ混ぜになった頭が整理されることで、身のまわりも整理したくなったのだが、逆に言えば、身のまわりをいつも整理しておけば、頭の中もすっきりしてくるのでしょうね。

家を磨くことは、自分を磨くこと

逆に作家の林真理子さんの書斎はぐでんぐでんに散らかっていたし、他にもそういうとっちらかったデスクまわりを好む作家もたくさんいるんでしょうけど、村上春樹さんが言うように、小説というのはある側面で、自分の中の混沌とした思考を吐き出す場でもあるので、それはそれでいいんでしょうね。まあ春樹さんの仕事場が散らかっているとは想像しにくいけれど。

そういえば誰かの小説で「便所を磨くのは、自分を磨くことだ」という台詞がありました。毎日毎日、トイレの便器から床から隅々まで、それこそ舐められるくらいピカピカに磨いて、これ以上やることはない状態であっても、それでも磨きつづけると、その先に見えてくるものがあるそうです。

ちなみに僕も家内も変なところで完璧主義なので、掃除を始めると止まらなくなることがよくある。「火がついちゃった」と言い合うんだけど、掃除魂に火がつくと、仕事とか日常の雑務とかもっと大切なタスクを後回しにしてしまって、いつまでも終わらないので注意が必要です。

我が家はまだまだ汚れているので、これから楽しみです。変に火がつかないように、毎日少しずつやっていきましょうかね。

商売道具を磨くことは、あのとき掲げた夢を磨くこと。 | CLOCK LIFE*