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今回のオートバイ独り旅の内面的な目的は、可能なかぎり他人からはなれて自ら孤独になる、というものだったが、行程的な目標は、長野県にある「陣馬形山」というところにあるキャンプ場へ行くことだった。

標高1400mに位置するこのキャンプ場は「天空のキャンプ場」と呼ばれ、かつては知る人ぞ知る隠れた名所だったらしいが、今はネットで情報が氾濫してしまい、オートバイキャンパーのメッカとなっているとかいないとか。

キャンプ場といっても設備は最低限で水も煮沸しなければ使えない。道のりは険しく迷いやすく、山間なので天候も変わりやすい。それでも多くの人がここを訪れるのは、南アルプスを一望する絶景があるからだ。

▶ 陣馬形山 キャンプ場 – Google 検索

 

はじめての単車野宿独旅の予定は、一日目が西伊豆のキャンプ場、二日目が本栖湖のキャンプ場で、三日目にこの「陣馬形山キャンプスペース」へ行って、あとは旅先で考えよう、というものだった。

ところが出発前に、さんざん花村萬月さんの「自由に至る旅―オートバイの魅力・野宿の愉しみ 」という本を読んで刺激を受けてしまって走り通しだったのと、ろくにツーリングもしたことがないくせにいきなり野宿旅に出てしまったため、二日目にして疲労がピークに達してしまった。

詳しくは旅日記にまとめるが、本栖湖のキャンプ場に到着した夕刻には、疲れでなかば放心してしまい、二日目にして「もう帰りたい」などとつぶやいてしまう始末。とても翌日、陣馬形山にチャレンジするどころではなかった。

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しばらくコーヒーを飲みながらどうしたものかとうつむいていたのだが、僕ははたと思いあたって心を決めた。なんのことはない、疲れているのなら、休めばいいのだ。

旅の醍醐味、というか僕の心の転換点はここだった。

僕は疲労困憊にもかかわらず、陣馬形山に行かなくてはいけないと強く思いこんでいた。疲れたなあ、行きたくないなあと思っているんだけど、それが自分では意識できなかった。思考が停止しているのだ。

からだは行きたくないと言っている。けれど心は行かなければならないと思っている。心とからだが剥離するから、気持ちはどんどん沈んでいく。これが、僕がここ数年間やってきたことだ。

けれど湖畔の静かな森にしばらくたたずんでいたら、忘れかけていた思考がゆっくり降りてきた。「行きたくないんだったら、やめちゃえば?」

そう、これは独り旅なのだ。自由な旅だったのだ。この旅に正解はない。どこへ行こうが、何をしようが、何を食おうが、風呂に入らなくたって、休んだって、僕の自由だ。それこそが、独りで旅に出る意味なのだ。

けっきょくその日は結論を出さず、明日の朝考えることにして、ビールを飲んでさっさと寝てしまった。真夏だというのに涼しい森の中で、シュラフにもぐりこんで、僕はようやく旅に出てよかったと思えた。

ここ数年の僕の毎日は、自分で定めた過密なスケジュールに追われていた。仕事や家事だけでなく、休日の遊びやイベントすら、事前に綿密に計画して実行していた。だから、明日のことは明日考えよう、と思ったのは、本当にひさしぶりのことで、それだけで心の奥から嬉しさが這いのぼってきた。

あなたも僕のように、誰かに決められた毎日を闇雲に生きていやしないだろうか。あなた自身が決めたそのスケジュールやプランは、自分を犠牲にして誰かのためだけに捧げた時間になっていないだろうか。

家族という幸せと責任を背負えば、誰もが自由を失っていく。けれど、このあらゆる物事が加速した現代社会だからこそ、自ら孤独と自由を選びとる必要があるんじゃないだろうか。そこに多少のリスクと労力が生じたとしても。やめる勇気だって必要だろう。