村上春樹さんが、勉強と知識の種類について、わかりやすく書かれていました。
知識は、テストや仕事ですぐに役に立つ即効性の類と、すぐには役に立たないけど時間が経っても心に残りつづけ、人生を豊かにしてくれる非即効性のものがあると。
即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら、小さいやかんと大きなやかんの違いです。小さなやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなやかんはお湯が沸くまでに時間がかかるけれど、いったん沸いたお湯はなかなか冷めません。どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。上手に使い分けていくことが大事になります。
___『職業としての小説家』
ぼくは大人になってからずいぶんと長いあいだ、小さなやかんでばかり湯を沸かし、湯が冷めてはまた沸かし、と慌ただしく生きてきたような気がします。ときには大きなやかんで沸かした湯にゆっくりと心身を沈め、人生をあたためる時間だって必要なはずなのに。
即効性の小さなやかんとは、雑誌やビジネス書やインターネットから得る情報で、非即効性の大きなやかんは、小説や専門書や哲学、芸術一般、そしてパパやママが本来教えるべき知恵、といったところでしょうか。
すぐに使えて役立つ知識というのは、えてして、多くの人にあまねく広がるように、”無理やり普遍化されて” 薄っぺらくなる傾向があります。「○○するための10の方法」といったタイプの記事は、そのうち一つでも当てはまればラッキー、といったところです。
けれど、おばあちゃんがあなただけにそっと教えてくれる知恵は、あなたにだけ ”特化” したやさしい道しるべなので、いつか必ず、人生の大きな岐路で役に立つはずです。ぼくらはそれに気がつかないことが多いのだけれど。
専門のビジネス書を読めば、すぐに仕事で結果を出すことができるかもしれないけれど、半年かけて『マチネの終わりに』を読んだからって、「それ読んで何か得したことがあったかい?」と訊かれたところで、苦笑いするしかない。
けれど、この物語から感じた「何か」は、僕のこれからの人生にずっと影響を与えつづけ、底の方から広くあたたかく支えてくれるだろう、という、確信にちかい直感があります。それがどういったものなのかを具体的に説明することはできないけれど、これこそが大きなやかんで沸かした湯でしょう。
明日使える知恵袋もいいけど、そればっかりだと人生はずいぶん冷めたものになってしまうみたいです。なんだか楽しそうに見える人って、案外知らず知らずのうちに小さなやかんと大きなやかんを使い分けてるんじゃないかな。そしてそれは、本を読むだとかいうことだけでなく、家族や気のおけない友人とゆっくり話すことかもしれないなって、最近は思ってます。それじゃ。