R0002288

最近は毎日ブログも書かずに本ばかり読んでいます。というと、さぞかしたくさんの本を読んでいると思うかもしれないけど、読んでいる物量自体はそれほど多くないです。

当初は意気込んでなるべく早くたくさんの本を読もうとしていたんだけど、じっくりと考えながら読んでいるうちに、ただ読めばいいってもんじゃないな、数じゃないなと気づいたとき、この本に出会いました。

世界はどんどんスピードを速めていき、いろんなものが効率化されていくけれど、この本を読んで、効率化されてはいけないものだってたくさんあって、「読書」はまさにその代表格であるなと、同い年の芥川賞作家の言葉に深くうなずきました。

ぼくが今、大好きなインターネットやSNSや映画や漫画やゲームの時間を割いてでも、本ばかり読むようになったのは、「読書」が何よりも楽しくなったからです。新しい知識を仕入れる知的欲求が満たされる喜び、なんていうカッコいいものじゃなくて、純粋に、ただひたすら楽しい。しかも、身体の内側がふるふると静かにふるえてしまうくらいの人生の喜びだと、はじめて知ったのです。

本を読むのが苦手な人は、焦っているだけ

ぼくは若い頃、自分には読解力が乏しいというコンプレックスがあって、小難しい専門書やドストエフスキーなどの文学を読めるのは、限られた頭のいい人だけだと思っていました。

けれど本当はそうではなくて、よほどの専門分野を扱ったものでない限り、たいていの書物は、じっくり時間をかけて読みこめば誰にだって理解できるようにできているのです。書き手は伝えたくて書いているのですから、内容が深く濃ければ書くのにも時間がかかるように、読み手が書かれたものを身体に取り入れるのだって同じように時間がかかるだけです。

同様に、自分はアートや絵画を鑑賞する目を持っていないとか、音楽を解釈する耳を持っていないとか、味を分解する味覚が乏しいとかいうのも、たいていはコンプレックスや思い込みで、じっくり時間をかけて理解しようとしさえすれば、必ず何かが伝わってくるものです。読書に向いていないのではなく、読み方を知らないだけ。アートが理解できないんじゃなくて、ちゃんと見ていないだけ、ということです。

かつてのぼくがそうでしたが、手早く理解しようと焦って読むと、著者の伝えたい真理に届かず、「つまらない本だったな」とか「この著者は自分には合ってない」なんて勘違いをしたり、誤読によって回り道をしてけっきょく時間を食ってしまい、読まないほうがましだった、なんてことにもなりかねません。人生もそうですが、落ちついて時間をかければ、たいていのことはうまくいくんじゃないでしょうか。

さあ、試しにこのブログ記事の後半も、いつものようにさっと読み流すのではなく、じっくり考えながら読んでみませんか?

「速読コンプレックス」という強迫観念

私たちは、日々、大量の情報を処理しなければならない現代において、本もまた、「できるだけ速く、たくさん読まなければいけない」という一種の強迫観念にとらわれている。「速読コンプレックス」と言い換えてもいいかもしれない。しかも、楽をしてそれができるのであれば、言うことはない。巷に溢れかえっている速読法を説く本は、そうした心理に巧みにつけこむように書かれている。

「本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)」

もちろん速読や斜め読みが必要な場面もあるだろうし、インターネットが普及して、読みやすくわかりやすく素早く消化吸収できるような、いわゆるインターネット的な文章も増えているけれど、それは単に一時的な情報の処理であり、自分の人生を豊かにしてくれる書物の読み方とはまったく違う。

言うなれば速読とは、コンピューターが言葉の羅列の中から自分にとって必要な情報だけを選りすぐるようなもの。けれどスローリーディングは、書き手の言葉のすべて、さらには書き手の熱情や価値観、人生にかける想いまでもが、読み手の心身に沁みいるように伝わってくる気がします。

「本を速く読まなければならない理由は何もない」と平野さんは言います。たしかに速く読もうとすると、速く読めるような内容の薄い本へと自然と手が伸びがちで、ゆっくり読むことを心がけていれば、深く手応えのある濃い本を好むようになるというのも納得できます。

ビジネス本や実用書など、目的を持って読む書物の場合、わからないところを飛ばしてしまうことが多いものですが、本当の読書とは、書き手に新しい世界を見せてもらうことですから、自分が必要なものだけを取り出すのは読書ではなく情報収集なんですね。「本を速く読まなければならない理由」があるのだとしたら、それは「読書」ではなく「情報収集」であり、それはそれで効率的な仕事術としては非難されるべきものではなく、胸を張って速読すればいいのかともぼくは思います。

マイルスもカントもモーツァルトも大江健三郎もみんな、スローリーダーだった

私たちは、数十年前に比べて、はるかに容易に、はるかに多くの本を入手できるようになった。しかし、そのおかげで、私たちはかつての人間よりも知的な生活を送っていると言うことができるだろうか?

15世紀に活版印刷技術が発明されるまで、書物はすべて手書きだったので、一般には流通していませんでした。ある程度流通するようになってからだって、今とは比べものにならないほど本は貴重で、生涯に読める数だって限られていたはずです。それでも当時の人は深い思索を重ね、カントやヘーゲルのような哲学者が現代に残るような哲学や思想をつくりあげています。

おもしろかったのが、ジャズ・ミュージシャンのマイルス・デイビスも、子どもの頃はレコードを三枚くらいしか持っていなかったそうです。それを言うなら、バッハやモーツァルトだって、生涯に聴くことができた曲の数は、Spotifyを使える僕らとは比にならないほど少なかったはずです。それでも彼らはとてつもない作品を数多く残した。

つまり、数や量じゃないんですね。

中学生の頃、なけなしのお小遣いで買って何度も何度も擦り切れるほど聴いたCDが、一生ぼくらの記憶に残りつづけるように、時間をかけて何度も味わってこそ、表現の真価に辿りつくことができるのです。

ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんも、決して速読をすすめたりはせず、むしろ「読みなおすこと(リリーディング)」を説いているそうです。「リリーディング」とは、必ずしも二度目に読むことを意味するのではなく、構造の全体を視野に入れて読むことだそうです。

スローリーディングのやり方

スローリーディングのやり方はいたってシンプルで、わからないところを飛ばして読むのではなく、立ち止まって考えながら読む、ただそれだけです。脳のワーキングメモリの容量は想像以上に小さいので、わからなくなったら前のページに戻って確認するのだって当たり前なんですね。

  • わからなかったら同じ箇所を繰り返し読む
  • 辞書を引きながら読む
  • 考える時間を取る
  • 忘れたり気になったりしたら前のページに戻って読む
  • 人に説明することを前提に読む
  • 構造の全体を視野に入れて読む

大切なのは、読みながら立ち止まって、「どうして?」と考えることです。「本というのは、そういった疑問を持った瞬間に、そういう疑問を持った人にだけ、こっそりとその秘密を語り始めるものなのだ」と平野さんは言います。

頭のいい(とされる)人や思索の深い人は、たくさんの本を速く読んでいるのではなく、身のある本をゆっくりじっくり深く読んでいるのです。そう考えると、スピーディな情報収集である「速読」というのは、いわゆる仕事のできる人の得意分野であり、仕事術なので、やはり読書ではないと言えるかもしれません。

スローリーディングとは、じっくり落ちついて静かなしあわせを生きていくこと

15世紀に生きた人たちが現代のぼくらの暮らしを眺めたら、王族よりも贅沢な生活水準にきっと驚愕するでしょう。本も食べ物も情報も溢れていて何不自由なく生きていける現代なのに、それでも人々が悩みや苦しみを抱えるのは、自分には本来必要のないものや情報の濁流に溺れているからじゃないでしょうか。

物質や情報が飽和した現代は「宝の持ち腐れ」時代だと言えます。あまりにもたくさんのものが溢れていて、何を選び取っていいのかわからない。何かを「手に入れようとする」時代は終わり、「手の中にあるものの中から、自分に合ったものを選りすぐる」時代がきているのに、相変わらず焦って手に入れようとばかりしていると、いつまでたっても不安は消えないんじゃないでしょうか。

だからこそ、焦るのはやめて、ゆっくり時間をかけて本を読み、世界を眺め、自分にとって大切なものを選りすぐっていこうと、ぼくは考えています。そうやって目を凝らして眺めるようになると、深い真理に充ちた手応えのある本と、売れることだけを目的とした底の浅い本の違いもすぐにわかるようになります。

スローリーディングは、スローライフの入り口だと思っています。じっくり時間をかけて良書を読むことは、世界のありようを知るということであり、じっくり落ちついて世界を眺めることができるようにもなります。ひいてはそれは、じっくり落ちついて静かなしあわせを生きていく、ということに繋がると、ぼくはひそかに確信しています。

ちなみに今、平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」という小説を読んでいるんだけど、文章の一行一行、言葉の選択、キャラクターの存在感、すべてがあまりにもぼくの感覚にフィットしてしまい、何度も戻って読み返したりしながら、一単語、一行を慈しむように読んでいるので、なかなか読書が進みません。そしてそれが、本当にしあわせな気持ちで、ただ「本を読んでいる」だけで、人生の喜びに包まれるかのような気すらするのです。

もちろん今回紹介したこの「本の読み方 スロー・リーディングの実践」だって、ぼくがここにまとめた内容とは比にならないほどの深い思索に充ちているので、これからも何度も読み返すつもりです。

スローリーディング__「落ちついて世界を眺める」というのは、人との対話や人生の歩き方においても、じつに大切なことだと思います。そして何よりも読書とは、自分自身を知るための旅のはじまりなのかもしれません。

多忙な社会人にとって、スロー・リーディングの時間は、最も手軽で、最も安価な安らぎの時間である。それは、特別の場所も、相手も必要なく、普段、最も疎遠な人、つまり、「自分自身」と向きあうための時間である。