運転免許証を返すことの寂しさ

正月に家内の実家にお邪魔したとき、お義母さんが自動車運転免許証を返還したという話を聞いた。

七五歳のお義母さんはそうとは見えないくらいに肌ツヤもよく快活で、まだまだ運転もできそうに見えるが、さすがにもう危険を感じるし、生活は電車や徒歩で十分だという。

「そうですね、もう危ないし必要ないかもしれないですね」ぼくが言うと、お義母さんは子どものように口をとがらせて「でもすこし、胸が苦しくなったのよ」と力なく笑った。

「もう二度と車を運転できないのかと思うとね、なんだか寂しくって……」

そう言うお義母さんの顔を見ていたら、ぼくも寂しい気持ちになってきた。

最近は高齢者が高速道路を逆走したり、幼児の命を奪うような悲惨な交通事故がニュースを賑わせているので、高齢者が免許証を返還するのは当然だ、と簡単に考えていたけれど、本人の心情はそんなにあっさりとはいかない。

車が運転できなくなる、つまり、今までできていたことができなくなる、というのは、大きな欠乏と失望を伴うものだ。

はたから見たら高齢者でも、若い頃から地つづきで生きてきた本人にとって「老い」は明確な事実ではなく、「できない」自分を認めるというのは、ひどくつらいはずだ。

ぼくは鬱になるまで「できない」自分を認められなかった

ぼくは数年前、病に伏せる家内の世話と家事育児と仕事のプレッシャーとにパンクして、鬱になったあげくに会社へ行けなくなった。それまで快活に積極的に働いていたぼくが、鬱になるまで無理してがんばってしまったのは、「できない自分」を認めることができなかったからだ。

これくらいでへこたれたらダメだ。もっと大変な状況でもがんばっている人はいくらでもいる。自分にできないはずがない。そうやって自分を追いこみつづけていたら、神様が鬱という強制終了の手を差し伸べてくれた。鬱になったおかげで、ぼくはようやく「できない」自分を受け容れることができた。

鬱になるまで受け容れられないくらいに自尊心が肥大したぼくであったが、「できなくていいんだ」「親父に認められる男にならなくていいんだ」「ありのままでいいんだ」と気づけた途端、こころがすうっと楽になった。心屋仁之助さんの言葉を借りれば「心が風に」なった。

「できない」自分を認めたら、選択肢があふれ出す

先日、テレビで清原和博さんが薬物依存について語っていたが、清原さんは「自分自身の意志だけでは薬物をやめられない」と、「できない」自分を認めていた。

子どもの頃から溢れんばかりの才能を発揮して「できない」自分を知らずに生きてきた清原さんは、プロの世界で挫折したり叩かれたりしているうちに「できない」自分の存在を知り、けれどそれを認められず、写真週刊誌によってつくられた番長キャラを身にまとうことで気の小さい本当の自分自身を隠蔽し、その苦しさから薬物に手を出し、やがて強制終了が訪れた。

けれど今ようやく「できない」自分を認めた清原さんには、きっと明るい未来が待っているとぼくは信じている。「できない」自分を認めた人には、選択肢が無限に広がるからだ。

だからぼくはいつも思うのだ。「できない」自分を認めることは諦めではなく、スタートなのだと。

「できない」なら、他者を頼ってみる。
「できない」から、少しやり方を変えてみる。
「できない」なら、できることを探してみる。
「できない」けど、地道にゆっくりやってみる。
「できない」んだから、そんなもんやめちゃう。

「できない」自分を認めれば、選択肢はたくさんあるけれど、「できない」自分を認められないと、そこには歯を食いしばって無理して頑張るという生き地獄しか残されない。

できない自分を許したお義母さんはニコニコしながら、ぼくにはとてもこしらえることのできない絶品の煮物をふるまってくれた。すこし大きめの里芋をかじりながら、ぼくはできない自分でよかったなあとあらためてうなずくのだった。

▲ これは家内がこしらえた煮物。お義母さんの味。