山崎ナオコーラさんのマイルールは「あきらめる」だそうです。すべての言葉の中でいちばん好きなんだって。
本が売れるのをあきらめるとか、いい人になることをあきらめるとか、いろんなことをあきらめると、どうせ自分はこの程度の人間だからやりたいことやっていいんだ、って思えるそうです。
対談していた平野啓一郎さん曰く、森鴎外が最後に辿り着いた境地も「諦念」、つまりあきらめるという境地なんだと。
俺はあきらめがわるいって自覚があるなあ。バスが来たら、つい走っちゃう。あきらめて次を待てばいいのに、とは思うんだけど。
でも人生を振り返ってみると、大人になるっていうのは、あきらめを重ねていくってことでもあるんですよね。子どもの頃から考えてみると、カンフーの達人になるのをあきらめて、鳥山明みたいな漫画家になるのをあきらめて、牧瀬里穂と結婚するのをあきらめて、パンクロッカーになるのをあきらめて、大富豪になるのをあきらめて……。
でも、あきらめた代わりに手に入れたものが、どれもまんざら悪くなかったりして。あきらめたから今の俺があるんだな、なんて思える瞬間もあるわけで。
信念と執着って紙一重ですよね。安西監督は「あきらめたらそこで試合終了ですよ」って言うけど、終了して次の試合に進んだほうがいい人だっている。バスケ自体やめたほうがいいって場合もある。人それぞれ、Life goes on.
ブルーハーツは「あきらめきれぬことがあるなら、あきらめきれぬとあきらめる」と唄ってたなあ。ひとつ言えるのは、何かをあきらめると、今まで見えなかった無数の選択肢が見えてくるってことです。世界が広がるんでしょうね。