子どもってホントすぐ顔に出る。
イヤなことがあればふてくされるし、おもしろいことがあれば泣いたカラスがもう笑う。わかりやすい。
ほんで、子どもの笑顔って家族の幸福度のバロメーターだよな。
以前、俺がいろいろ追いこまれていた頃の写真を眺めてみると、子どもたちがちっとも笑ってないってことに気づく。
誕生日パーティとか、海で遊んでたり、楽しいはずの思い出なのに、そこにある笑顔は、どこかぎこちない。目が笑ってない笑。笑ってない笑顔って、コワい。
ま、幸福度とかカンケーなく笑ってない写真もあるけどな笑。
今とあの頃と、何が違うんだろうって考えてみると、いろいろあるんだけど、まあまずあの頃は、
俺自身が笑ってない。笑って楽しんでるフリして苦しんでる。
子どもたちは家族の〈鏡〉だから、同じように笑ってない。親父に笑わせられてる。
そして、あの頃の俺は、いつも、いつもいつも、いつもいつもいつも、
ダメ!
ばっかり言ってた気がする。
仕事や人間関係でミスが許されない状況に身を置いていたから、日常でもすべてを完璧にコントロールしようとしてたんだな。
人生に、ミスが許されない状況なんてないんだけどな、本当は。
いつまでも遊んでたらダメ!宿題やらないとダメ!片づけないとダメ!片づけ方がダメ!自分でやらないとダメ!でも勝手にやったらダメ!笑ったらダメ!ふてくされたらダメ!泣いたらダメ!何してもダメ!
子どもたち、何していいかわからない笑。
あの頃は気づかなかったけど、俺は正しいことをしてると思ってた。子どもを守ってると思ってた。
でも本当は、断崖に張った一本の細いロープから墜ちないように極限の精神状態で綱渡りしている俺の目の前で、明るく健やかに笑ってる家族が許せなかったのかもしれない。メンドクセー親父だ笑。
なにより俺自身が、自分に対して、いろんなことをダメ!ダメ!ダメ!って言ってたから、それに家族を巻き込んでたんだ。ずいぶん迷惑をかけたよな。
考えてみたら、ダメ!って、すげえ言葉だ。駄目、なんだぜ。全否定。
何をしてもダメ!って言われたら、自分自身がダメなんだって思っちゃうよな。
俺やあなたや子どもたちが何をしようと、何を間違えようと、俺たち自身の価値はまったく減じないのにな。
気づいたら、俺はダメって言わなくなった。
気づいたら、子どもたちはすごく自由になってた。
気づいたら、俺も子どもたちも笑ってばかりになった。
まず、俺自身にダメって言うのをやめたからだ。
子どもたちに、ダメの代わりに文句はガンガン言うけどな。
いつまでも起きてちゃダメ!は言わないけど、大人の時間なんだから邪魔すんな、早く寝ろ!と言う。
まわりに迷惑だから電車の中でうるさくしちゃダメ!とは言わないけど、うるせえ静かにしろ!は言う。
子どもにとって不条理なことも言う。間違ったことも言う。ワガママを言う。自由に言う。
そしたら子どもたちも自由になって、生意気になって、パパをなめて、みんな笑う。
そんなんじゃ、ダメ?……かな?
▲ 夏に向けてドリンク仕入れてきたよ!
Comments by 茅ヶ崎の竜さん
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