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『Dr.倫太郎』という精神科医のドラマを見ていたら、共感と恋愛の違いについての話をしていました。

共感というのは、手を繋ぐこと。

相手の瞳をしっかり見つめて、相手の心に寄り添って、相手の気持ちを読み取って、相手を大切にしてあげること。

恋愛とは、抱きしめること。

止まらない気持ちを解きはなって、自分の手に抱きしめること。熱い恋情を相手にぶつけて、盲目になること。

共感するとき、人は相手の瞳をずっと見つめるけれど、恋愛をして抱きしめてしまえば、もう相手の瞳は見えない。

相手の心に寄り添うのではなく、ただ自分の熱い気持ちのままに、わがままに相手を欲するのが恋愛だという。

これは精神科医と患者の関係性の文脈で語られたことだけど、僕ら一般的な男女にも言える話だ。

 

僕と家内の関係は、共感から始まった。

若い頃、心に深い傷と呪いを抱えた彼女に僕が共感し、それがいつしか恋愛に変わった。

大人になり、結婚をして子どもたちが生まれると、ふたたび共感するようになった。

その結果お互いの傷が癒えてくると、共感とも恋愛とも違う、新しい関係が生まれた。

それは、今まで知らなかった「感謝」という関係。

僕らは毎日、お互いに感謝し合っている。自分たち自身が気づかないほど自然に。

お互いが相手の心に寄り添って、お互いがそのことに対して無意識に感謝している。

もしかしたら家内はそのことに気がついていないかもしれない。

僕らは毎日「ありがとう」を何度も言うけれど、その何万倍もの「ありがとう」が、僕らの間を常に行き交っている。それは本当に幸せな交流だ。

よく「感謝しなさい」と言うけど、感謝というのは「する」ものではなく「してしまう」ものなのかもしれない。

ちょっとしたコツがある。

「がんばって」と言わないことだ。

「今日もお仕事がんばってね」というのは、愛情のある言葉に聞こえるけど、そこに「感謝」はない。

むしろ「お金を稼いできてね」という「欲求」が入ってる。

だから「無理しないでね」と言う。

心に寄り添った言葉をかけられれば、人は自分から動く。愛されてる喜びがあれば、言われなくてもがんばる。

奥さんにも「あんまりがんばりすぎるなよ」と言ってあげる。

その日の夕食は、いつもよりすこしだけ、豪華になってるかもしれない。

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