グザヴィエ・ドランの『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』を見ていたら、こんなセリフが印象に残りました。
「スタイルとは、自分を知ること」
__自分の欲望を知り、やるべきことをやる。それが、その人の生き方、姿勢になるんだと。
自分は何をしたくて、どう生きたいのかを知ることは、たしかに人生を豊かにします。
僕は、漫画『バガボンド』に倣って、それを「自分の真ん中」と呼んで、慌てたり混乱したり迷ったりしたときに、思い出すようにしてます。
若い頃って、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、なんてわかんないんすよね。
本田圭佑みたいに、子どもの頃から「プロサッカー選手になってぜってーミランに入る!」なんて揺るぎない「真ん中」を持てた人はいいけど、そうじゃない人のほうが多いでしょ。
それはきっと、何をしたいか、どう生きるか、というのを、職業とか成功とかに限定して考えちゃうからなんですね。
そうじゃなくて、仕事とかお金はとりあえず置いといて、どう生きるか、生きたいのか。
おっさんになってくると、自然とそういうのが見えてくるもんで(先が見えてくるからね笑)、僕も二つ、大きく揺るがない真ん中を軸に生きられるようになってきました。
僕の真ん中のひとつは、
__明るく、元気に、楽しく、暮らす。
みたいな、至極シンプルで月並みなものだったりします。結局、そうなる。でもこれが本当に大事で。
他にもうひとつ、仕事というか、成し遂げたい真ん中もあるんだけど、基本的には、明るく、元気に、楽しく暮らすこと。なるたけ笑って。それが僕の生きる姿勢__スタイルになってる。
生きてりゃ、いろいろあります。
仕事がどうの、お金がどうの、家族がどうの、誰それがどうの、健康がどうの……心配になることも多い。
そして今は、新型コロナウイルスが全世界に拡がるという、経験したことのない脅威にさらされてる。
そういう人生のアレコレに直面したとき、力んだり焦ったり混乱したりもするんだけど、
__何がどうあれ、自分は明るく元気に楽しく生きるんだった、そうだったそうだった、って思い出すと、真ん中に戻れる。
ちなみに僕の奥さんは、そんな真ん中を、意識してもいないと思います。
自分の好きな仕事をやって、好きなものを食べて、なるようになる世界で、できる範囲で自然体で生きてる。いつも真ん中にいる彼女はきっと、ウイルスに感染しても、お金や仕事や食べものがなくなっても、そこでまた自然と笑う。
僕は彼女と違って、ふらふら偏ることが多いけれど、これから、どうなろうと、明るく、元気に、楽しくいようと、そういう覚悟、っていうとアレだけど、気持ちがあると、何がどうなるかってことより、自分が何をしようか、ってことに思考が移っていく。
とりあえず週末は、家にあるもん食べて、猫と本と映画と暮らそう。