昨年、六月の終わりに退院したばかりの頃は、毎日が痛みと苦しみと恐れに満ちていた。
かなりの量の抗うつ薬と安定剤と睡眠薬の三点セットを服用していたものの、それによって安定した日々が送れる、というわけではなくて、
__どうにか、ベッドから立ち上がって、生きていける。
という、くらい。
24時間のすべての瞬間が、断崖絶壁で綱渡りをしているような気持ちで、暮らしの中でひとつ選択を間違えたら奈落の底へ落ちてしまうのではないか、というようなヒリヒリした不安に怯えながら、日々を暮らしていた。
そんなウツの沼の底で身動きがとれなかったボクが、たった一人で、たった半年で、心身ともに回復してきて、今は、毎日犬とビーチを走り、安らかな気持ちでピアノを弾いたり、このようにブログを通じて世界と繋がれるようになれたのは、
家族や友人たちの支えや、恵まれた環境、優秀で親身になってくれた医師、そして、たくさんの本を読んで、古今東西の知の集積によって救われたことも大きいんだけど、
今振り返ってみると、
__ノートと散歩がなかったら、ボクはどうなっていたか、わからないなあ。
とも、しみじみ思う。
あの頃のボクは、毎朝、起きるとまず、ノートに向かっていた。
正確には、Macの〈Day One〉という日記アプリに、毎日〈日記とノート〉というエントリーを作成し、頭に浮かんでくることをすべて、そこに書き連ねていった。
__今、自分はどのような状態なのか。どうしてこんなことになってしまったのか。これからどうなるのか。血圧が下がらない。心臓が痛い。止まるのではないか。救急車を呼べるだろうか。玄関の鍵は開いていたか。昨日は何を食べた。今日は何ができるか。何が間違っていたのか。何が正しかったのか。今日は死ぬほど苦しい。昨日もそうだった。哀しい。寂しい。心臓が痛い。つらい。どうしたらいいのか。
そのようにして、ほぼ何も考えず、書いている、という意識すらなく、ただただ言葉を連ねていった。
余談だが、そのように半無意識的に思考を言語化してアウトプットできたのは、親指シフトのおかげだ。日本語の言語思考を一旦ローマ字に変換するタイピングでは、いちいちノイズが入って、あんなにスムーズに思考を放流することはできなかっただろう。
思考や感情を整理したい人は、ノートに手書きで書くといい、と言われるのはそのためだろう。ボクはもはや、手書きより親指シフトのほうがアウトプットがスムーズだし速いのでそうしているが。
そうやって、頭の中でぐるぐる廻って混沌としている思考や感情を、言語化してアウトプットし、それを客観的に眺めると、__その先が続いていく。
つまり、頭の中に渦巻く思考は、ただ混乱をもたらすだけだが、外から俯瞰できるようになることで、
__さあ、だったらどうするんだい?
という問いが生まれ、その問いに対する自分の答えが、道となって見えてくる。
すると、当初は苦しみと恐れと痛みばかりだったノートの内容が、__現実を受け入れ、今から何をするのか、何ができるのか、という内容に変わり、いつの間にか、
__ああ、こうなってよかったんだ。ねじくれた不自然な形から、自然な形に戻っただけなんだ。
とすら、思えるようになってきた。
ちなみに当時のボクは、〈タオを生きる〉という老子の思想の本を生きるための杖として毎日読んでいたので、
__ああ、道(タオ)とは、このように問いかけることでクリアになっていくのだ。
と、悟った思いがした(ケイティはそう書いているんだけど、実感としてやっと感じられた)。
それから、午後になると、毎日、海辺を歩いた。一時間から二時間、ひたすら、歩いた。
意識して、運動のために歩こう、というのでもなかった。恐ろしくて、家にいられなかったのだ。
誰もいない家に一人で居続けるのは恐ろしいが、他者と関わるのも恐ろしい。だから、逃げるように家を出、なるべく誰もいない海辺の道を、ひたすら歩いた。
灼熱の炎天下をふらふらと歩いていると、ほんの少しだが、気持ちが晴れていくのがわかった。心の雨はやまないが、雲の隙間にささやかな光が覗くように、少しずつ、ラクになっていく。
__思考が、流れている、と思った。
ノートに言葉を書き連ねるのもいいが、それよりも、もっと広く、自由に、囚われることなく、思考が広がり、感情は和らいでいく。
後に知ったのだが、それは〈拡散思考〉と呼ばれるもので、考えるテーマや課題から解き放たれ、ただただ頭の中に思考が流れ、気づきが生まれ、ネットワークが繋がるようにアイデアが結びついていく、という右脳的な思考法だ。
それは瞑想に近く、自由で、制限がなく、動的で、心地よかった。
スティーブ・ジョブズやエジソンは、意識的に〈拡散思考〉をすることで、新しいアイデアを生み出していたという。
ほぼ無意識的にノートに言葉を吐き出すのも思考が流れていると言えるが、その言葉たちはやがて問いを持ち、__問いに対する答えを導く、という左脳的な〈直列思考〉になっていく。
するとどうしても発想の自由な広がりは制限され、狭く、常識的、現実的な思考と道に辿り着くことが多い。
なので、今あらためて振り返ってみると、
__ノートで自分の思考を放流し、客観的に俯瞰し、問いかけ、先の道を見つけていく。
というロジカルなルートと、
__散歩をして、何も考えない頭の中に浮かんでくる思考を、瞑想のように流し続け、捕まえず、揺蕩うようにしていると、気づきが生まれ、アイデアや道が繋がっていく。
という直観的なルートの、
__二つの思考の道があったからこそ、ボクはわりと短期間に、心と頭、気持ちとロジックの整理をつけ、立ち直ることができたのではないか。
という気がしている。
このことを書こうと思ったのは、最近、友人に教えてもらった本に、モーニング・ノートという習慣のことが書いてあり、それはまさにボクがウツの沼から脱け出るためにやっていたノートと同じではないか、と思ったからだ。
ちなみに一日中苦しんでいたボクは、一日中ノートを書いていたが(外ではiPhoneで)、たしかに朝書くノートが最もクリアに思考や気持ちを放流できていたような気がするので、モーニング・ノートというのは理に適っているのだろう。
逆に、夜書くノートは、翌朝読み返してみると、__おや?と首を傾げてしまう内容が少なくない。疲れていて、解決策ばかり模索しているのか、ロジカルで、狭量で、広がりがない。
ちなみに、その本には、二つ目のツールとして〈アーティスト・デート〉という習慣も紹介されていて、それは、
__自分を、ふだん行かない非日常的な場所へ連れていき、自分の中のアーティスト的な感覚が流れるようにする。
みたいな感じなので、ボクにとっての海を散歩する、という習慣は、アーティスト・デートに近かったのかもしれない。
海辺を歩いていると、地続きの現実から少しずつ思考が飛びたち、いつの間にか、高い空からマクロな視点で自分や人生や世界を眺め、自分の中にある素直な欲求や恐れが出てくる。
試しに駅前や街中を散歩したこともあったが、やはり人が多い場所では、ボクの芸術的な感性やまっすぐな欲求は封印され、現実から思考が飛翔することもなかった。
先日、年末年始にかけて、暮らしの変化に伴って、ノートも散歩も怠っていたら、見事に心も身体も鬱屈し、ヒドくしんどい時間を過ごした。
やはり、ノートに思考を吐き出して、そこから道を見つけ、散歩で思考を流して、アイデアや気づきのネットワークを繋げる、というのは、ボクにとって、とても大切な習慣のようだ。
アーティスト・デート、という概念が意識にあったからか、先日、いつものように一人で海辺を歩いていると、ふと、自分の内なる表現者、とでも言うべき、封印していた分人が顔を出したように思えた。
ボク、いや、私の中には、まだまだ、隠された顔がある。怯えた保護犬のように鳴き喚く時間は終わった。そんな気がした。
ノートと散歩がなければ、ボクはまだ泣き喚いていたかもしれない。もちろん、その他の様々な要因のおかげでもある。
これからも、ボクの日常と人生はノートと散歩でくるくる回っていくだろう。