◀ 誰に強制されたわけでもない、自分で決めたスケジュールの罠。【鬱日記6】

このへんで書いておきたいのだが、僕はうつ病になったのではない。と、思っている。

双極性障害(かつての名称は躁うつ病)と診断され、何度も入退院を繰り返した家内と生活していたので、自分がそうじゃないというのは、明白にわかる。

最近は軽々しく「オレ最近うつでさあ」とか「あいつうつっぽくね?」みたいな言い方をしてしまうのだけれど、僕のような症状と本当のうつ病は、似て非なるものである。

専門的知識はないのだが、僕が経験から学んだことや気づいたことを書いておこうと思う。

うつ病と神経症(ノイローゼ)の違い。

どこかの本かネットで読んだのだけれど、不安神経症やノイローゼの人は、自分がどうしてそうなってしまったのかという原因と、どうすればいいのかという解決策を認識できているのだという。

反してうつ病患者は、原因も解決策もわからない。あるいはわかっても行動できないほど落ちこんで追いこまれている。

ノイローゼは心の病で、うつ病は脳の病気だという話もある。他にも根本的な違いがあるようだけど。

参考までに広辞苑を引いてみると……

うつ‐びょう【鬱病】 気分障害の一型。抑鬱気分・悲哀・絶望感・不安・焦燥・苦悶感などがあり、体調がすぐれず、精神活動が抑制され、しばしば自殺企図・心気妄想を抱くなどの症状を呈する精神の病気。原因不明。双極性障害(躁鬱病)の鬱病相の形をとるもの、周期性ないし単相性鬱病の型のものなどがある。

しんけい‐しょう【神経症】 心理的な要因と関連して起こる心身の機能障害。器質的病変はなく人格の崩れもない。病感が強く、不安神経症・心気症・強迫神経症・離人症・抑鬱神経症・神経衰弱・解離性障害など種々の病型がある。ノイローゼ。

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

精神疾患ではなく、精神疲労。

僕の場合、原因を一言でまとめれば「コミュニケーション過多からくる人疲れとストレスの増大による精神の過労」である。詳細は別の機会に書くけれど、要は生活がいっぱいいっぱいになってしまって、心がパンクしてしまった。

だから必要なのは、充分な休養と独りだけのリラックスした時間。しばらくのあいだ何も考えずにぼけっと過ごしていれば、きっと良くなるだろうという気持ちが、はじめからあった。

いずれにせよ僕の場合は、こうして無理やり病名を定める必要などないくらいの軽度の精神的疲労(疾患ではなく疲労)だったのだろう。

まだ完全復活したとは言えないけど、うつやノイローゼと言うよりは、「はりきってがんばりすぎたら、心がパンクしちゃった」という程度の言い方のほうが合っているような気がする。あるいは中島らもの言うように「心が雨漏り」しちゃったのだ。

何より幸いだったのは、自傷行為にいたるほど重症になる前に、自分で自分の状態に気がついて、あふれる涙を無視しないで、休養という選択ができたことだ。それはやはり家内との経験があったことが大きい。

僕程度の精神的過労を抱えた人は、おそらくたくさんいると思うのだ。

弱っているのに、いっそ死んでしまったほうが楽なのかも、と思ったことがあるのに、それでも様々な責任を背負っていて休むことができない人が、この不自然に加速した世界にはたくさんいる。またいずれ機会を持って書くが、休む、という選択を恐れないでほしい。

そういう僕だって一時期に比べるとずいぶん活力が出てきた気もするのだが、雨漏りを完全に治すのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

つづく。

▶ 僕の心がパンクしちゃった2つの要因【鬱日記8】