哀しきつがいのヤマアラシ__夫婦で傷つけあわないために。

夫婦の危機……なんてものは、どこにでもころがってる。石ころみたいなもんだ。誰も口にしないだけで、めずらしいもんじゃない。

あるとき、二人の女性がつづけて相談にやってきて、二人ともが「愛はあるのに、苦しいんです」と言った。そういう言葉を使ったわけじゃないけど、つまるところそういうことだった。

一人は、旦那さんを愛しているし愛されているのもわかってるはずなのに、以前のように仲良く暮らせないのだと言った。もう一人は、旦那さんを愛しているのに、向こうはこっちをまったく見てくれない、もしかしたら外に女の人がいるのかも、と言った。他にも、もうあの人を愛せない、と言った女は何人もいた。

僕は恋愛や行動心理学のスペシャリストでもなんでもないけど、何度となくママちゃんや家族との間に亀裂を生じさせ、その都度どうにかその暗闇へつづくクレバスを乗り越えて、今日まで生きてきた ”みっともない実績”  だけはそれなりにあったので、偉そうに話をしてみた。それはこんな話だった。

愛されているのに苦しい奥さんも、愛されなくて苦しい奥さんも、ひとつだけ共通点があった。それは、二人とも知らず知らずのうちに、凶暴なハリをビンビンにおっ立てたヤマアラシになっているってことだ。

僕はいつもそんなヤマアラシたちを見るとひどく哀しくなる。だってもともと深い愛情によって惹かれあった男女がそんな姿になってしまったのは、必ずしもどちらかに非がある、とは限らないのだから。

「ヤマアラシのジレンマ」という心理学の言葉がある。ヤマアラシのつがいは、お互いの身体を温めるために身を寄せあうのだが、自らのハリで相手を傷つけてしまうのだという。つまり、どれだけ愛しあう二人であっても、人と人の間には適切な距離が必要だという話で、ショーペンハウアーの寓話が元になっているとか。

だけどその解釈はちょっと違うんじゃないか、と僕は思っている。

ヤマアラシという動物は通常、その凶暴なハリを静かに横たえて、まわりを傷つけることなく暮らしている。つがいのヤマアラシが仲良く身を寄せあっている写真をネットで見たことだってある。ハリをビンビンにおっ立てるのは、自分の身に危険が及んだときだけのはずだ。

本当の意味での「ヤマアラシのジレンマ」というのは、何らかの要因で、身を守るために攻撃的になって、常にハリを立てている状態に陥ってしまった男女が、そのことに気づかずに相手に近寄って傷つけてしまうことをいうんじゃないか。

人生に起こるさまざまなトラブル__たいていは仕事、お金、子どものこと、親や姑との関係などの外的要因__に対峙して、四六時中誰かと戦っているうちに、知らず知らずのうちに愛するパートナーさえ敵になって、孤独になっていく。

僕もママちゃんもこれを何度もやってきた。とくに僕はいつまでも学ばない馬鹿野郎だから、しんどくなるたびに、夫婦で力を合わせなければとママちゃんに歩み寄ろうとするのだが、なぜか言いたくもないひどい言葉を投げつけてしまい、知らぬ間に彼女を傷つけてきた。数え切れないほどに。

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厄介なのは、自分が傷つけていることに気づかないパターンだ。あいつは文句ばかり言う。あの人は私を大切にしてくれない。そういうのは、ぜんぶ鏡だ。あなたのほうが同じくらい、いやもっとひどいことをやってるかもしれないんだ。

傷ついたヤマアラシは、男も女も、自分の痛みに耐えるのに必死で、相手の悪いところをあげへつらうだけになってしまう。あなたは家族を大切にしてくれない。おまえは俺にやさしくない。私はこんなに尽くしているのに。俺はこんなにがんばっているのに。違う。そうじゃない。本当は相手の弱点を責めたいのではなく、自分の痛みを知ってほしいだけなのに。

あなたがもしパートナーに対して不平や不満を抱えているとしたら、まずは鏡の中の自分を見てくれ。あなたの全身は鋭いハリに覆われてはいないだろうか。愛する人を知らぬ間に傷つけてはいないだろうか。あなたが腹を立てるパートナーの弱点は、かつてのあなたがいとおしく感じていたかわいらしさではなかったか。

わかってるよ。あなたの心にはあなたがつけたのよりずっとたくさんの傷がついていて、おびただしい血が流れていることも。もう傷つけられたくないから、ハリを立てて身を守ろうとしてしまうことも。

ただ思い出してほしいんだ。「あの人は変わってしまった」と嘆く前に、なぜ変わってしまったのかを。なぜその不細工なハリをおっ立ててしまったのかを。

わるいのはパートナーじゃない。もちろんあなたでもない。政治でも社会でもなければ神さまのせいでもない。ただちょっと、お互いに間違えただけだ。間違いは誰にだってある。

戦う相手を、間違えちゃったんだ。傷ついたときに、ガマンしちゃったんだ。泣けばいいのに、戦っちゃったんだ。寄りかかるべき人に、ハリを刺しちゃったんだ。頼らないで、抱えちゃったんだ。

戦う相手を間違えちゃいけない。

隣で、同じ方向を向いて、あなたにだけは大切にされたいと願う無防備なパートナーを、傷つけてはいけない。たとえ今はあなたの痛みをわかってくれなくとも。

あいつはあなたを愛していないんじゃない。外で誰かに傷つけられて、混乱してるだけだ。

落ちつけ。まだ慌てるような時間じゃない。熱い湯にでもゆっくり浸かって、じっくり考えるんだ。何がどうなって、何が苦しいのか。

慌てているといちばん目につくのは、いちばん身近にいる人の弱さだけれど、その弱さは、あなたの弱さだから。あなたのその弱さにつけ込んでくるのは誰か。あなたのその弱さを抱きしめてくれるのは誰か。じっくり考えてみてくれ。

……と、そんな話を、僕なんかがしたって説得力はないので、それから彼女たちがどうなったのかは知らない。あんたに何がわかるのよ、と笑っているかもしれないし、出会った頃のように、とまではいかなくても、新しい二人の形を見つけて平和に暮らしているかもしれない。

ただ僕は、すべての夫婦がどうしても別れるべきじゃないって言いたいわけじゃない。サヨナラからはじまることだってある。出会いそのものが間違いだった場合だってある。終わりは始まりだ。

けれど、他のクソみたいな誰かのせいで、あるいは仕事や進むべき道の選び方をすこし間違えただけで、せっかく一緒になった二人が別れちゃうのは、本当にもったいないって思う。だからおせっかいにも言いたくなっちゃうんだ。

かつて僕は、大切な人に「あなたは傷ついているのね」と言われたとき、いちばん傷ついた。僕はそんなに弱い人間だったのかと。この人に弱いと思われてしまったのだと。でもそれを受け容れたら、なんだか強くなった気がした。傷ついているパートナーを癒やすためにも、まずは自分自身の傷を癒やしてみてくれ。じゃあね。